第21章 箱庭金魚✔
今までも、蛍が簡単に吐露できない思いの一角を見せてきた時、どしりと構えて待つ姿勢を見せてきた。
焦ることはない。
蛍の歩幅で、歩んで来て欲しいと。
その思いは今も変わらない。
無理矢理に蛍の心をこじ開けるようなことはしたくない。
しかし蛍を想うが故に、等しく湧き上がる別の感情もある。
知りたい。見たい。訊きたい。
柚霧と呼ぶ男の顔を見ただけで、殺人にまで至ろうとした蛍の抱えたものを。
鬼に成り果てても尚、人間でいようとした蛍の並々ならぬ決意を、あっさりと砕こうとした真実を。
自分の知らない、人間であった時の蛍の世界を。
『──簡単に触れていいものでは、ありません』
告げられたのは入浴前。
着替えを差し出した千寿郎と、二人だけで向き合った時だった。
『何故だ?』
詳細を訊かずとも、それが蛍のことだと瞬時に理解できた。
自分の知らない蛍の何かを、千寿郎は知ったのだ。
見たもの、感じたものを聞かせるようにと告げたことへの、答えがそれだった。
『あれは本来、俺が知っていいことではありませんでした。姉上だって…知られたくなかったはず』
『蛍がそう言ったのか?』
『いいえ』
『では何故言い切れる』
『知ったからです。あれは、人が知識を得るような"理解"とは違う。俺の中に、姉上の感情が流れ込んできました。言葉じゃないんです。目で、耳で、匂いで、肌で、姉上を感じました』
まるで自分が蛍に成り代わったかのように。
全ての光景が、第三者の目で見えながらも実際に感じられるような、不思議な感覚だった。
拳を顔面に叩き付けられる恐怖も。咽(む)せ返るような血の臭いも、喉にそれが詰まる味も。
死を悟った時の、奈落に突き落とされるような絶望も。
凄まじい感情の波と共に、千寿郎の心の奥底まで叩き込んできたのだ。
『…知らなければよかったとさえ、思った』
差し出した着物を持ち上げる千寿郎の両手は、微かに震えていた。