第21章 箱庭金魚✔
「だから手当てしないと。もう謝らなくていいですから…顔を、上げてください」
千寿郎の声に棘はない。
怒りも、哀しみもない。
その声に誘われるように、蛍は恐る恐ると顔を上げた。
「…私が、怖くないの?」
そこには、あの時見た恐怖を滲ませた顔もない。
「私は、怖いよ。自分のこの爪も、牙も。千くんをまた傷付けてしまうことが、怖い」
しかし蛍は違った。
千寿郎ではなく、今は蛍にこそ恐怖の色が宿っている。
「あれは姉上だけの所為じゃありません。私も悪かったんです」
「千くんが悪いことなんて…」
「いいえ。あそこで感情に任せて飛び付いたのは私です。もっと別の止め方もできたのに、自分からそこに飛び込んだ。不安定な姉上の中に、不用意に踏み込んだ私の責任でもあります」
「……」
「私も、怖いと思いました。何も知らないことが」
恐々と身を縮ませる蛍のその血の付いた手に、触れたいと思った。
自分に対してそうしてくれたように。
大丈夫だと笑顔を見せて、握ってやりたいと。
ただそれで安心するのは結局のところ自分自身なのだ。
人間にとって触れ合いが意思疎通の一つであっても、鬼である蛍にとってはそれが時として災いとなる。
それを知らなかった。
だから不用意にその背に抱き付いた。
殺して、と泣きそうな声で呟く蛍をどうにか止めたくて。
男を睨み付けるその目を、どうにかこちらに向けて欲しくて。
半端な知識で飛び込んだ結果、互いを傷付け合ってしまった。
「姉上が鬼だと知って、それでも家族になれることが嬉しいと思いました。それは本心です。でも私は姉上の向けてくれる優しさだけを見て、知った気でいた。私を怖がらせまいと見せてくれていた、温かい声や顔だけを見て」
蛍が与えてくれた優しさだけに浸って、鬼というものを理解した気でいたのだ。
(…姉上の中には、あんな感情があったのに)
混沌のような影沼の中。
そこは心を引き裂くような感情の渦だった。
胸を突き破り、腹を抉る程の。
「だから私に教えてください。鬼である、姉上のことも」
触れられない手を、代わりにぐっと握り締める。