第21章 箱庭金魚✔
「姉上…ッ姉上!」
「本当にあそこを離れてよかったのか千寿郎っ」
ひらりひらりと建物の屋根から屋根を飛び移る。
杏寿郎に背負われた千寿郎は、高く広い視野から辺りを忙しなく見渡し蛍を呼んでいた。
「姉上はあそこにはいません…っ」
「何故そう言い切れるっ」
「僕を、兄上の所へ返してと言ったから」
「俺の下へ?」
思い起こすのは、蛍の影沼に飲まれた後のこと。
一人だけ深く闇のように続いている沼底にいた蛍は、千寿郎だけを返すように告げた。
「戻るつもりなら、姉上もあの時一緒に戻っていたはずです…それをしなかったのは、きっと…」
それ以上は言葉にできず。簡易手当てとして風呂敷で巻かれた腕を、千寿郎は上から握り締めた。
「千寿郎。あれはお前の所為じゃない」
「っ…ですが、」
「蛍の所為でもない。台所での騒動をお前も見ただろう。蛍の血鬼術は、本人の指揮下を外れて活動することもある。今回の影沼は、蛍の感情の暴走によるものだ。冷静な判断は下せていない」
屋根の頂点。棟瓦(むねがわら)の上で足を止めると、杏寿郎ははっきりと千寿郎の不安を否定した。
皆まで聞かずとも弟が何を考えているかなどわかる。
蛍が千寿郎を傷付けたことも。
千寿郎が影沼に飲まれてしまったことも。
互いに互いが、自分の責任だと責めているのだ。
「…ですが…」
それでも千寿郎の表情は暗いままだった。
杏寿郎の言うことは理解できる。
その判断も正しいものだろう。
誰よりも長く深く、蛍のことを見てきた師でもあるのだ。
しかし千寿郎が素直に頷けなかったのは、あの感情の渦にこそ巻き込まれたのが、自分自身だったからだ。
「それでも"あれ"は姉上でした…早く見つけ出さないと…」
実際に肌に、脳に、感じたからこそ直感できた。
頭の中に流れ込んできた剝き出しの感情全てが蛍の記憶だった。
あれはただの人を飲み込む為の領域などではない。
あの影沼全てが、蛍そのものなのだ。
その底無しの沼のように深い深い、蛍の絶望も知ったからこそ。
「あんな状態の姉上を、ひとりにはできません」