第21章 箱庭金魚✔
「逃げたのか…」
「…兄上」
「案ずるな。一先ず要に捜索させよう。今ならまだそう遠くに逃げ果せてはいまい」
「姉上を捜さないと」
「無論。だが以前と同じ影沼なら、この場から移動している可能性は低い。以前のような沼跡は見当たらないが…現に千寿郎を戻した位置もほとんど変わっていないしな。先にその腕の止血をしてから、影跡の」
「駄目です」
杏寿郎の腕を掴む手に、ぎゅっと力がこもる。
「止血なんて自分でできます。兄上は姉上を捜してください。あの男の人と会わせたら駄目です」
「…千寿郎?」
握る指先が微かに震えている。
異変を感じた杏寿郎が覗き込めば、千寿郎の顔は青白く血の気を退かせていた。
「あの人は駄目です…っあの人、は」
「わかっている。蛍が暴走する程だ。因縁のような関係性があるのだろう、放っておく気はない」
「っ姉上が先です。姉上を先に見つけてください」
落ち着かせようと何度声をかけても、千寿郎の感情は治まらない。
急かす声を震わせたまま、じわりと大きな瞳に微かに浮かんだのは涙だ。
杏寿郎の目が驚きと同時に険しさを増す。
「何があった」
体を震わせる程に、涙を見せる程に、千寿郎の心を強烈に揺さぶる何かがあったのか。
影沼は蛍の記憶の巣。
それと同時に、無一郎の奥底にあった記憶も引き出した異能だ。
もしや千寿郎の記憶を引き出し、その感情を掻き乱したのではないか。
声色も低く問えば、弱々しくも千寿郎は頸を横に振った。
「僕じゃ、ありません。…姉上が」
手足の震えも。
止まらない涙も。
冷えていく体の芯も。
全ては己のものではない。
「ぜんぶ、姉上の」
今抱えている感情は、全て蛍の感情の渦の名残りなのだと。そう、わかるからこそ。
腕に縋りついたまま、千寿郎は強く懇願した。
「姉上を、ひとりにさせないでください」