第21章 箱庭金魚✔
「千…ッ!」
「っ!」
急に重力が戻ったかのように体が重くなる。
水面へと浮上する感覚だったが、千寿郎が放り出されたのは空中だった。
落下した体は太い腕に抱きとめられる。
ずきりと反動で腕が痛む。
顔を顰めれば、視界に鮮やかな焔色の髪が映り込んだ。
「大丈夫か…ッ」
「…兄、上」
其処にいたのは、切羽詰まった表情で伺う兄の姿。
「体は。なんともないか。怪我は」
「つぅッ」
矢継ぎ早に問いながら、同時に杏寿郎の目がすぐさま体の様子を探る。
千寿郎が痛みに顔を顰めたのは、血に染まった片袖だけだ。
袖を捲り確かめれば、細い腕に鋭い切り傷ができていたが深くはない。
ひとまずと安堵の息をつく杏寿郎の腕を、小さな手が掴む。
「私は、大丈夫です」
「無理はするな。傷は浅くても怪我は怪我だ」
「でも、姉上が」
「ああ。あの影魚は俺も初めて見たが、他は以前も見たことがある。影沼は蛍の血鬼術の一つ。故に蛍に牙を剥きはしない、大丈夫だ」
節分の時も蛍を飲み込んだ影沼は、無一郎と実弥も無傷で元の場所へと戻した。
今回も土佐錦魚は頭から蛍を飲み込んだが、それにより蛍が命を落としたとは考えられ難い。
千寿郎だけを無傷で戻したところを見ると、やはり無闇に傷付けることはないだろう。
的確な判断を下す杏寿郎に、それでも千寿郎の表情は変わらなかった。
「違います…そうじゃ、なくて」
杏寿郎の腕の中から辺りを見渡す。
其処は、影に飲まれる前にいた参道だ。
「姉上、は?」
「お前一人だけだ。飲まれた影から出てきたのは」
「あの男の人は…っ」
「それならあそこに──」
振り返った杏寿郎の動きが止まる。
腰を抜かしてその場に倒れ込んでいるものとばかり思っていた男は、忽然と姿を消していた。