第21章 箱庭金魚✔
「…せん、くん」
手を伸ばす。
その爪先は今し方削った肉の血で、赤く染め上げている。
「ッ」
自分の血を滴らせる蛍の手を見た瞬間、千寿郎はびくりと体を強張らせた。
見上げる顔に浮かぶは、恐怖。
(──あ)
見たことがある。
知っている。
そんな目を向けてきた者達の心に巣食うものなど一つだけだ。
指先が震える。
伸ばしていた手を退くと、蛍はきつく握り合わせた。
「ごめ…ごめん、なさい…ごめんなさい…ッ」
何度も謝罪の言葉を述べる蛍の足元が、ふらつく。
覚束なくも後退る姿に、反応を示したのは千寿郎でも杏寿郎でもない。
それは男を喰らおうとしていた土佐錦魚だった。
今までの興味が嘘のように、男から顔を背けると尾鰭を翻(ひるがえ)す。
一目散に泳ぎ向かう先は、項垂れ頭を下げる蛍と座り込んだままの千寿郎の所だった。
「待て!」
「うへあっ!?」
突然の変わり様に驚いた杏寿郎だったが、その先を捉えた途端にぞわりと肌を粟立てた。
屋根の上から地に降り立つと、担いでいた男をその場に落とし駆け出す。
蛍の男への憎悪に反応した土佐錦魚だ。
もし今も蛍の感情に反応しているなら、その牙が向かう先は──千寿郎かもしれない。
「逃げろ千寿郎ッ!!」
その場から刃を振るえど、土佐錦魚は並みの速さではなかった。
杏寿郎の炎が掻き消す前に、その牙は少年に届くだろう。
だからこそ上げた杏寿郎の叫びは、蛍の耳にも届いていた。
はっと顔を上げた蛍が捉えたのは、こちらへと迫る巨大な金魚。
無機質な目は何を捉えているかもわからない。
(千、くん)
考えている暇はなかった。
頭の中にあったのは、自分の所為で怪我を負わせてしまった千寿郎のことだけだ。
後退りしていた足を踏ん張り、地を蹴る。
座り込んで逃げ出せない千寿郎を背後に、蛍は迫りくる土佐錦魚に向かって両手を広げ飛び出した。