第21章 箱庭金魚✔
不知火の炎によって焼かれた影は、男へと衝突する前に掻き消える。
その最後の波が消える間際に、影の水底からそれは飛び出した。
どぷりと黒い波を弾いて飛び出したのは巨大な尾鰭(おびれ)。
胴体よりも大きな尾鰭は広げればまるで扇のようだ。
尚も大きな胸鰭と腹鰭で空中を泳ぐかのように優美に舞う。
それは土佐錦魚(とさきん)に似た巨大な魚型の影だった。
今まで蛍の影が感情によって様々な形に変化したことはある。
不気味で歪な虫のように変貌したこともあれば、鋭い爪を持つ巨大な鬼の手そのもののように変貌したことも。
ただそのどれもがはっきりとは形容し難いものだった。
黒光りする鱗。
卵のような丸みを帯びた胴体。
優美に揺れる鰭の数々。
呼吸を繰り返すようにエラが波打ち、ぱくりと小さな口を開く。
ここまではっきりと影が何かを実体化させたことはない。
大きさと場所を除けば見応えのある美しい金魚だったはずだ。
しかしそれは金魚ではない。
無機質にも見える丸い魚眼をきょろ、と回す。
その目が、驚きの余り言葉も出ない男を見つけた。
「殺せ」
途端にぎょろりと殺意を剥き出す。
蛍の命に応えるが如く、土佐錦魚が男へと襲いかかった。
ぱくぱくと小さく開閉させていた口が、顎を外してがばりと大きく開いたかと思えば鋭い牙を剥く。
「やめろ蛍!」
止めたのは杏寿郎だった。
秒も置かず男を守るかのように土佐錦魚と対峙する。
炎を纏い刀を振るえば、大きな鰭を揺らし土佐錦魚はそれを回避した。
頭上や左右だけでなく、地中にも水面に飛び込むように潜り込み、予想外の場所から顔を出す。
変則的な動きに、長い尾鰭の先を刀で断つことはできても決定打は刺せない。
(これは…っ蛍が操っている訳ではないのか!?)
蛍との手合わせは数えきれない程行ってきた。
師として幾度も見守ってきたからこそ、彼女の無意識の癖や得意な戦法は心得ていたはずだ。
しかし目の前の巨大な土佐錦金の影にはそれがない。
ふらりと金魚のように儚く揺れたかと思えば、鬼のように牙を剥き詰め寄る。
杏寿郎の予想をことごとく裏切る様は、蛍の血鬼術ではなく全く別の何かを相手にしているようだ。