第21章 箱庭金魚✔
「あ」
「兄上」
きょとんと見上げる二つの顔に、返す杏寿郎の視線はいつもの眼孔の強さを潜めていた。
「蛍。嫌なものを聞かせてすまなかった。体調はどうだ、まだ芳しくはないか」
「ぁ…ううん。千くんのお陰で、もう、大丈夫」
「そうか」
投げかける声も、いつもの剛勇さを感じさせない静かなものだ。
頸を横に振る蛍に、ようやくほっとしたように微かな笑みを浮かべて、弟へと視線を移す。
「千寿郎。先程は助かった。お前の機転のお陰だ」
「いいえ。兄上は、私が婚約を知っていることを黙っているように頼んだから何も言えなかったのでしょう。私の気持ちを汲んでくれて、ありがとうございます」
「そう、なんだ…」
「だとしても一歩出遅れてしまったな。俺こそ君を守らねばならなかったのに」
日傘を手にしたまま、目線を合わせるかのように背を屈める。
杏寿郎の長い髪がしな垂れ、蛍の視界で揺れた。
「だがもう同じ思いはさせない。俺が生涯添い遂げたい人は誰か、はっきりと告げてきた」
「告げたって…さっき、の?」
「ああ。これ以上無暗に縁談を持ち込まれても困るしな。答えは出しておいた方がいい。君がよければ、だが…この先も宣言しておいて良いだろうか」
穏やかな声だが、譲らない強さがある。
「己妻(おのづま)と望む愛すべきひとは、蛍だけだと」
千寿郎に婚約を祝われた時のように、蛍の目が見開く。
誰かの家族になりたいと思えたのは初めてだった。
しかし家族となる為のそびえ立つ四方の壁は遥かに高くて、簡単には乗り越えられない。
それでも一歩一歩、歩幅は小さくとも確かに進んでいたのだと。
千寿郎の腕の暖かさと、驚く程すとんと心に落ちてきた杏寿郎の現実味のある言葉に、喉を震わせて小さく頷いた。
「…ん、」
これ以上何かを貰ったら罰が当たるのではないか。
そう思える程に、泣きたくなるような幸せを噛み締めて。