第21章 箱庭金魚✔
食欲のそそる匂いを広めながら、頬被りをした女性と少年が賑やかに笑い合う。
その様に目を細めていた人影が、台所の入口で壁に背を預けるとゆるりと腕を組んだ。
「父上は朝餉は取られないことも多いので、量は少なめに…兄上」
「え?」
御膳台を棚から出しながら振り返った千寿郎が、最初にその姿を見つけた。
はっきりと目に映すまで気付かなかったのは、それだけ相手が気配を殺していたからだ。
無造作に跳ねる寝起きの頭はそのままに、穏やかな顔で口元に笑みを浮かべているのは、いつの間にか起床してきていた杏寿郎だった。
「おはよう、二人共。朝から精が出るな」
快活な第一声ではなく、ゆるりと柔らかな声で呼びかけてくる。
その声に比例するように、杏寿郎の表情はとても柔らかなものだった。
まるで幸福を噛み締めるかのような優しい眼差しに、千寿郎は思わず口を噤んだ。
こんなに柔らかな兄の朝の顔を見たのは、一体いつぶりだろうか。
「俺も何か手伝おう、と言いたいところだが。折角だから二人の作った朝餉が食べたい」
「ほとんど千寿郎くんが作ってくれたけどね。おはよう、杏寿郎。まだ寝ていてもよかったのに」
「起きたら蛍も千寿郎もいなかったからな。寂しさに負けた!」
ようやく快活な声が戻ってきたかと思えば、歩み寄る蛍に壁から背を起こして、杏寿郎も足を向ける。
その顔には屈託のない笑顔があった。
元継子の蜜璃にも見せなかったような、目尻から口の端まで綻ぶような顔だ。
「だからこんな頭で来たの? すんごいもふもふ。最早もっさもさ」
「蛍のその頬被りを真似れば収まるやもしれんな。どれ、貸してくれ」
「あっちょっと。それは無理っこれは、万が一陽に当たることを考えた対応策で」
「盗人(ぬすっと)の真似事がか?」
「盗人て! 千寿郎くんと同じこと言わないっ」
「ははは! 俺と千寿郎は兄弟だからな、一心同体だ!」
頬被りへと手を伸ばす杏寿郎に、頭を逸らしながら蛍が不服を申し立てる。
こうも短い時間の中でよくころころと表情が変わるものだと、千寿郎は感心気味に見つめた。
蛍もそうだが杏寿郎もそうだ。
感情の起伏は大きい方だが、蛍を前にすると柔らかな空気が随分と増す。