第21章 箱庭金魚✔
冷えた井戸の底の水もまた、杏寿郎の掌の温もりで程よく気持ちよかった。
しかし桶に汲んでいた水を足にかけ流されれば、冷水にぶるりと体が震える。
結果、ばしゃりと蹴った水が見事杏寿郎の顔に命中した。
「ご、ごめん」
「…よもや」
「あっでも、どうせなら頸と背中の傷も水で洗った方がいいだろうし…っ今度は私が杏寿郎を洗うよっ」
「っ待て蛍、素足で地面に下りたら──」
「えっ」
「うぬっ」
傍に寄ろうと井戸の縁から下りれば、慌てた杏寿郎の手が蛍へと伸びる。
何事かと反射で下がる蛍の足が、がたんと桶の縁を踏んだ。
結果、跳ね上がった桶が屈んでいた杏寿郎の低い頭へと降りかかった。
中に入っていた冷水と共に。
「…よもやよもやだ…」
「ご…ごめん…」
顔だけならまだしも、頭から被ってしまった井戸水にすっかり全身濡れ鼠。
ぺたりと肌に張り付く長髪と、ひっくり返って頭に乗った桶をそのままに呟く杏寿郎には、流石に血の気が引いた。
「でもほら、その衣服も汚れてたから洗わなきゃだし…手間が省けたというか…」
「……」
「ほ、ほらっ汗もいっぱい掻いたし、水浴びはしておいて損はないと言うか…っ」
「……」
「水も滴るなんとかって言うよねッ素敵だと思う!」
何が素敵だ、と自分で自分を詰りたくもなる。
が、兎にも角にも全面的にこちらが悪い以上、今は媚びへつらうのが一番だ。
「水も滴る、なんだ?」
「…え、っと」
「肝心の先が聞こえないな」
腰を上げてようやく開いた杏寿郎の口からは、いつもより低い声が届く。
頭に被っていた桶を取ると、濡れて張り付く前髪を掌で押し上げた。
常に重力に逆らう前髪は額を見せていたというのに、濡れ髪となっているだけでこうも見え方は変わるのか。
「滴る、なんだ?」
いつもは見開いたような双眸を細め、ふ、と浅く息を繋いで静かに問いかけてくる。
ししどに濡れて掻き上げられた前髪は、いつものようにぴんと上を向くのではなく、しとりと額に数本の後れ毛を残していて。
「…っ」
思わず目を奪われた。
言葉通りの水も滴る良い男。
もとい、水も滴る色男である。