第20章 きみにより 思ひならひぬ 世の中の
鬼である蛍の世界を見ていたいと、京都で告げたそれもまた杏寿郎の本心だった。
「じゃあ、教えてくれる?」
「俺が?」
「私、無知だから。学校なんてものも通ったことないし…幸い色んな人の話を聞く機会はあったから、文豪の名前くらいは知ってる。でも、その人がどんな人生を歩んだのかは知らない。杏寿郎が鬼の私の世界を知りたいって言ってくれたのと同じ。私も、私の知らない世界を知ってみたい。だから、教えてくれる?」
「…俺は鬼を斬ることしか知らないぞ」
「そんなことないよ。私は、楽しそうに話す杏寿郎越しの世界が見てみたいって思ったの。杏寿郎から教わりたい」
「……」
「〝月が綺麗ですね〟って言葉も、杏寿郎が教えてくれたから、こんなに胸に響いて、素敵な紡ぎ方だなぁって思えたの」
「……そうか…」
普段の杏寿郎からは、かけ離れた静かな声で零れ落ちる。
深い笑みを含んだその返答は、喜びを噛み締めるように。
受け身となると途端に幼子のように変わる、慣れを知らぬ姿だ。
そんな彼の姿が、とても愛おしいものだと思う。
「月が綺麗、だね」
感情をそのまま、かの文豪の台詞に乗せれば杏寿郎は困り顔で笑った。
「だがその台詞で躱(かわ)されるのは頂けないな…」
「か、躱してるなんて。そんなつもりは」
「ううむ…」
「杏寿郎?」
「うーむ…」
「何、頸捻って。どうし」
「うむ!!」
「うわ何急に大声出して」
「蛍火!!!」
「…ほたるび?」
「〝君と二人で蛍火が見たい〟というのはどうだろうか!」
「…え待って続いてたの? 文豪に台詞で張り合うなんてもの。まさか続けてたの」
「君が羞恥で素直さを隠してしまうからだろう?」
「…ぅ」
それを言われれば強く否定はできない。
しかし蛍火が見たいなどと、日常の誘い文句の一つでとても愛の囁きには聞こえない。
(夏目さんのそれも考えればそうだよね…本当、文豪の頭の中って私にはよくわからないや)
それでもどこか風情のある訳し方だなぁと思えてしまうのは、相手が著名な大作家だからだろうか。