第20章 きみにより 思ひならひぬ 世の中の
本来、杏寿郎は願掛けをするような性格ではない。
他力本願になるくらいなら、切磋琢磨して己を成長させる方が堅実だと思考する性分である。
それでも思い描かずにはいられなかった。
長い間一度も鬼殺隊の前に姿を現さなかった無惨が、炭治郎の前に現れたことも。
人を喰らうことなく飢餓に抗い生きている、禰豆子という特殊な鬼が現れたことも。
己の意志を変える程に、心の中に舞い降りた彩千代蛍という存在も。
そして──
「千寿郎には、秘密にしていて欲しいのだが…」
闇夜を仰いだまま、杏寿郎は初めてその場で"兄"の顔を見せた。
「あの子の手にした日輪刀の色が変わらず、剣士の才覚がないと発覚した時…正直、ほっとしたんだ」
生まれた時から鬼殺隊の剣士として育てられる煉獄家では、最終選別に挑むより前に、日輪刀を打ち与えられる。
手にした日輪刀が、立ち上る炎のように色鮮やかに赤く染まってゆく。
それは煉獄家の男子として認められる儀式のようなもので、胸を高鳴らせ刀を持ち上げる千寿郎を見守る時も、杏寿郎も共に高揚したものだ。
しかし弟の刀は色を宿さなかった。
「鬼殺隊としては失格だと思うが、兄としてだと…どうしても、弟を戦場に放り込むことに前向きにはなれなくて、な」
最初は唖然とした。
既に自暴自棄となっていた父は冷たい目で一蹴しかせず、泣き崩れそうになる千寿郎を抱きしめることで精一杯だった。
何故。どうして。千寿郎が。
そんな思いを抱きながらも、どこか心の奥底では安堵していたのだ。
だからこそ実弥の玄弥に対する態度も、理解はできた。
天元を交えた喧嘩のような鍛錬を終えた後日、改めてその件について実弥に謝りに行った程だ。
氷のような態度はどうかとも思うが。剣士の才がない玄弥を一刻も早く戦場から退かせる為だと思えば、その態度も納得できる。
深々と頭を下げて謝罪すれば、鬱陶しそうに見ながらも実弥は杏寿郎を邪険にはしなかった。
言葉を沢山交わした訳ではないが、あの時は共に兄としての心を共有させていたように感じた。
「そして、これは兆しではないかとも思ったんだ。代々炎柱の名を継いできた煉獄家で、呼吸を扱えない者が現れたのは。この暗く長い人と鬼との戦いに、終わりが来る兆しではないかと」