第3章 浮世にふたり
腸が煮え繰り返るのを抑えて、踵を返し店を飛び出した。
『待て!』
『そいつを押さえろ!』
『!?』
だけど一度躓いてしまった足は、光へと届かなかったんだ。
『む、ぐ…!』
『まずいぞ、どうにかしろ!』
『どうにかってどうするんだよ!』
『口を割らせねぇようにするしかねぇだろ!』
男達の手によって引き摺り込まれた部屋の奥。
押さえ付けられた体はビクともしなくて、口の中に捻じ込まれた布で息が詰まった。
無我夢中で暴れようとすれば、重い拳が腹を打つ。
嘔吐感で競り上がるものは口を塞がれた所為で出口を失い、逆流して胃袋で暴れる。
体が硬直して嗚咽する私に、男達の目の色が変わった。
『…おい。しっかりコイツを押さえておけよ』
『は?』
『おい、まさか…』
『口を割らせねぇ方法なんて一つだろ』
あの時見上げた男達の顔は、一生忘れない。
あの時感じた崖から突き落とされるような絶望と恐怖も、一生忘れないだろう。
『化けて出るなよ、柚霧』
一度足りとも極楽浄土なんて願ったことはないけれど、やっぱり神も仏もそんな都合の良い存在はいないんだ。
振り上げられる拳を前にして、ただただこの世の非情を悟った。
どれくらい経っただろうか。
『…ひゅ…は…』
何度も何度も体を打ちのめされた。
幾度も幾度も打ち付けられた拳の所為で、腫れ上がった顔は最早原型を留めていなかった。
内出血して膨張した細胞が邪魔をして呼吸ができない。
血の混じる唾液を飲み込めば、弱くも喉が咳き込んだ。
生きている。
まだ死んでいない。
それでも徐々に冷えてくる体温が、死への歩数を伝えていた。
男達は消えていた。
私が死んだと思ったのだろうか。それともとどめを刺す為の道具でも取りに行ったのだろうか。
朦朧とする意識の中で、何かが視界を遮った。
誰かがいる。
でも誰かは、わからない。
両目の瞼も腫れて、視界は遮断されていた。
『──無念であろう』
呼び掛けられた声は、はっきりとは聞こえなかった。
それでも聞いたことのない声だとわかった。
この声の持ち主は、あの男達じゃない。