第20章 きみにより 思ひならひぬ 世の中の
「…狡いな、君は」
優しく触れるだけの接吻。
ふ、と一息ついてゆっくりと離れる杏寿郎の顔に、もう迷いはない。
「俺の心をこうも搔き乱すのに、最後にはあるべきところへと落としてくれるのだから」
「…いいよ。たくさん狡いって思っても。そんな杏寿郎の目に映ることが、好きなの。そんな顔をさせてしまうのも、嫌じゃない」
想うが故に、晒してくれる表情(かお)ならば。
どんな感情でも愛おしく感じてしまうのだ。
「でも、これでわかったでしょ? 私の気持ちも」
「君の?」
「もう訓練でも混浴なんて入ったら駄目だからね」
「…まだ気にしていたのか?」
「まだて。気にしますが」
ぱちりと瞬く杏寿郎を見返して、蛍は拗ねたように唇をへの字に曲げた。
「過ぎたことだし、何もなかったからあれ以上突っ込まなかっただけで。でも、凄い気にする。杏寿郎のことだから、また鍛錬だなんだ言ってさらっと入ってしまいそうだし。混浴」
「そんなことはないぞ」
「私のこともそれでお風呂に誘ったのに?」
「あれは単なる口実というか…」
「あの場に蜜璃ちゃんがいたら、鍛錬だって喜んで一目散にお風呂に入る気がする。というかその姿が目に浮かぶ」
「……」
「だから駄目」
沈黙を作ってしまったのは、蛍の言う通り容易に想像できたからだ。
師である杏寿郎に似て何事にも真っ直ぐに挑む蜜璃ならば、意気込んで混浴に参加するだろう。
むすりと拗ねた顔で告げる蛍に、杏寿郎の眉尻が下がる。
確かに、蛍の言う通りその気持ちは理解できた。
立場が逆転していれば、とても頸を縦には触れない。
「わかった、もう軽率に混浴場には足を運ばない。約束しよう」
「本当?」
「本当だ」
拗ねて膨らむ頬を指の腹で撫でれば、ぷすりと憤りを抜くように小さな口から漏れる吐息。
その様がなんとも愛らしくて。杏寿郎はつい含み笑いを零した。
「そうだな。俺の挙動でこんなに感情を揺らす君が見られるのなら、妬心を持たれるのも悪くないと思う」
「…凄い顔だって言ってたのに?」
「気にしていたのか?」
「気にします。一応、私も女なので」