第19章 徒花と羊の歩み✔
鬼の耳だから拾えたような、細く微かな笑い声だった。
「このお屋敷は広いですが、不思議とそう感じさせないですね」
廊下の先を見つめたまま、蛍の目が優しく細まる。
「杏寿郎さんの継子として、住み込んでいた炎柱邸もそうでした。立派なお屋敷でしたが、杏寿郎さんと一緒だと広く感じることはなかったです」
「あれは騒がしいからな」
「…私は、好きです。賑やかなこと」
もう一口ワインを含む。
アルコールが緊張を簡単に和らげてくれるとは思っていないが、ほんの少しだけ背は押してくれた。
「杏寿郎さんのよく通る笑い声も、好きなものを頬張る喜びの声も、叱咤激励してくれる張りのある声も。私は、好きです」
「……」
「槇寿郎さんは、どうですか?」
「…好きか嫌いかで、あいつの声は聴いていない」
「そう…です、よね」
ちびりともう一口、ワインを飲んで頷く。
槇寿郎にとって杏寿郎は息子である。自分とは見え方も違って当然だ。
そう内心言い聞かせた。
「あ。でも、吃驚しました。千寿郎さんにお会いした時は。杏寿郎さんと凄く容姿は似ているのに、性格は全然違っていて。千寿郎さんの静かで優しく寄り添ってくれるような声も、私、好きです」
「…あれは静か過ぎる。杏寿郎に比べて、まるで自己主張がない。心が弱ければ、剣を握る者としても力は劣る。あれでは──」
「……」
「…いや」
言い過ぎたと思ったのだろうか。言葉を濁して途切れさせる槇寿郎に、蛍もまた口を閉じた。
千寿郎と出会って日は浅いが、自己主張がないと思ったことはない。
それだけ彼が自分より他人を思いやり、我慢強く耐え抜く性格なのだ。
(槇寿郎さんは千寿郎くんのことを見ているけど…観て、いない)
杏寿郎との手紙のやり取りを把握していた時は、やはり父親なのだと思っていたが。
その目は未だ、亡き妻にだけ向けられているのだろうか。