第19章 徒花と羊の歩み✔
何故そこまで杏寿郎を想うのか。
そんな疑問は、疑問として成り立つ前に消え去った。
湯浴み後に部屋へ戻る途中で感じた見知らぬ気配。
それは縁側で一人、酒を片手に亡き魂へ愛を向けていた。
重なったのは、瑠火への想いを断ち切れずにいる自分自身だ。
「姉さん」と呼ぶ声は今も慕い心を向けている声だった。
それでも、会わせたかったと杏寿郎を語る声は既に前を向いていた。
踏み出させたのはきっと杏寿郎なのだろう。
声の節々から感じる柔らかな音が既に答えだった。
それだけ彼女にとって杏寿郎の存在は無二のものなのだ。
「…私が何を言おうと杏寿郎が決めたことなら実行するでしょう。あれは自分の意志だけで炎柱になった男だ」
だから自分の許可など不要だと、告げる代わりに腰を上げる。
「私は貴女に一言謝りたかっただけなので」
「…ぁ」
「それと、やはりこれは着ていなさい。不躾などではないから」
手にしていた長羽織をふわりと蛍の肩にかける。
「顔色があまりよくない。晩酌もいいが、飲み過ぎは………これは私が言えることではないな」
台所から持ち出していた新たな酒壺。
入浴後、泥酔するまで煽る気でいた酒だ。
それを片手に自嘲する槇寿郎に、蛍はかけられた羽織を握りしめた。
答えははっきり見えていないが、途絶えた訳ではないとわかった。
息子達を拒否し続ける父の背に何があるのか。
(託す者には託す者しか、残る者には残る者しか、わからない)
つい先程、杏寿郎の声で向けられたものを己の中で紡ぎ直す。
杏寿郎の願いも、蛍の憶測も、全てはあやふやなものでしかない。
その答えを知っているのは槇寿郎本人だけだ。
「ぁ…あのっ」
「?」
去ろうとする背に呼びかける。
握った羽織はほんのりと温かい。
そこに槇寿郎の優しさが残っているのならば。
「お酒を、飲むのでしたら…私にお供させて頂けませんか」
口実らしい口実はそれしか思いつかなかった。
それでも、槇寿郎と言葉を交わす時間を作れるのなら。
「偶には、一人ではなく。二人で」
ワインボトルを両手で持ち上げて。
初めて、槇寿郎に向けて蛍は笑いかけた。
「一緒に、飲みませんか」