第19章 徒花と羊の歩み✔
「その杏寿郎はどうしたんだ」
「杏寿郎さんは、今は千寿郎、さんと。二人で大切な時間を過ごされています」
「…人を実家に連れ込んでおいて、夜更けに放っているという訳か…」
「ち、違います」
眉間に見慣れた皺を刻む槇寿郎に、蛍も慌てる。
また昼間のような喧嘩とも言えない喧嘩など、絶対にさせたくはない。
「私がそれを望んだんです。千寿郎さんは、杏寿郎さんが帰省している間でしか、兄弟の時間を過ごせません。だから、せめて今だけは……私の、我儘です」
「ふん。そんな気を遣わなくても、あいつらは頻繁に文でやり取りをしている。交わした言葉は、そこらの兄弟より多いかもしれん。そこまで他人が心配するものでもない」
「……」
「それに千寿郎もいつまでも幼い子供でも…?」
声を荒立てこそしないが、素っ気ない言い草は昼間の槇寿郎の名残りを感じさせる。
それでもまじまじと見つめると、蛍は視線で「なんだ」と訴える槇寿郎につい本音を漏らした。
「よく見ていらっしゃるんですね…」
杏寿郎は、父と弟に別々で手紙を届けていた。
共通の話題なら一通にまとめて送ることもあったかもしれないが、いつもそれが全てだった訳ではないだろう。
何より杏寿郎自身から「弟へ文をよく出す」と蛍は聞いていた。
個人間のやり取りなど、意識を向けて見ていなければ気付かないことだ。
蛍の呟きに槇寿郎の声が止まる。
眉間に皺は刻んだまま、しかしその足は去ることなく逆に歩み寄った。
「…これを」
「え?」
縁側に出て、槇寿郎が差し出したのは涅色(くりいろ)の長羽織。
槇寿郎自身が、今し方浴衣の上に羽織っていたものだ。
「着ていなさい。女性が夜着一枚でこんな所にいては、誰に見られるともわからん」
「す…すみません。ですが槇寿郎さ…様の、私物をお借りするなどと…」
「だから使用人ではないだろうと」
眉間に更に皺を刻む槇寿郎を前にして、正直逃げ出したい気持ちも生まれた。
しかしそんな勝手はできないと、その場に正座したまま蛍は頸を振り続けた。