第19章 徒花と羊の歩み✔
「…ぎもぢわるい…」
「アホー」
広い庭を前にした、人気のない縁側。
ぐったりと縁側の端に噛り付くようにしてうつ伏せた蛍は、地面に顔を向けていた。
支障をきたしているのは、千寿郎の身に纏っていた藤の香の名残りだ。
鬼殺隊本部の地下牢で出入口を覆っていた藤の花を嗅いだ時は、ここまで体に異常はなかった。
鬼対策用に作り上げられた香なのだろうと、改めて煉獄家が歴代の柱の家系であることを思い知らされる。
それでもどうにか煉獄兄弟の前では耐えてみせたが、離れた途端に目眩で膝を着いてしまった。
何度か本気で嗚咽しかけたが、こんなところで粗相をすれば千寿郎の手を煩わせてしまう。
折角兄に甘える時間を作れたのだ、それだけはいけないとどうにかこうにか泣き言を漏らすだけで耐えていた。
「アホ言うなし…」
傍らには夜空と同じ色をした羽根を持つ鳥。
鎹鴉の政宗が同情の欠片もない隻眼で見ている。
杏寿郎が言ったように、此処は鬼殺隊本部ではない。
自由に外を行き来できる許可を耀哉から貰った蛍に、今はもう鎹鴉の監視も必要ないはずだ。
それでも傍にいるのは、なんだかなんだ気にかけているからなのだろうか。
(なんて訊いたら絶対何処かに飛んでいくよね…)
政宗のツンデレ具合にはもう慣れたもの。
ごしりと腕で口元を拭うと、空き部屋の襖に背を預けて蛍は座り込んだ。
(…杏寿郎には悪いことしたかな…)
中途半端に欲のある熱を放置してしまったことには後ろめたさも残るが、千寿郎を優先しない手は蛍の中にはなかった。
常日頃弟であることを我慢して過ごしている千寿郎が、唯一甘えられる時間なのだ。
今日一日くらい、千寿郎を中心に回しても咎める者などいないだろう。
「まぁ、いいよ。藤の香りくらいなら離れていれば薄れるだろうし。気分がよくなるものも持ってきたしね」
力なく座り込んだまま、切り替えるように隣に座る小さなお供に目を向ける。
頸を傾げる政宗にふふんと笑うと、蛍の尻に敷かれていた影がぐにゃりと動いた。
ぐねぐねと影が不規則に盛り上がったかと思えば、そこから現れたのは一本のボトル。
千寿郎に用意してもらった赤ワインだ。