第19章 徒花と羊の歩み✔
「折角だ、俺にもその図譜をよく見せてくれ」
「あ、はいっ」
歩み寄る杏寿郎に、はっと顔を上げた千寿郎が図譜を差し出す。
しかしそこには手を伸ばさず、杏寿郎の手はくしゃりと小さな焔色の頭を撫でた。
「俺の部屋でな」
「!」
にっこりと笑う杏寿郎の掌の下から、ぴょこんと千寿郎の癖毛が跳ね出る様は、まるでその心境を表しているかのようだ。
こくんと大きく頷く姿はなんとも初々しく、年相応な少年の姿に蛍の顔も綻んだ。
「じゃあ折角兄弟水入らずの時間を、邪魔したくはないし」
うんと頷くと、小さな手からするりと抜け出す。
あ。と千寿郎が声をあげる暇もなく、二人の間から距離を取った蛍の姿が、とんと廊下の曲がり角に足を着いた。
「よろしければ蛍さんも…っ」
「お誘いは嬉しいけど。まだ千寿郎くんの藤の残り香が少しきついからね」
「…ぁ」
「少し夜風に当たって休んでくるよ」
「蛍。此処は鬼殺隊本部ではないんだ。無理はするな」
「大丈夫、無理は言ってないよ。一人で楽にしていた方が回復は早いから」
「それに、」と呟いて。
背を向けた蛍の顔が、ついと顎を上げて振り返る。
「鬼は夜が本場だから、ね」
薄暗い廊下に浮かぶ、鮮やかな緋色の瞳が二つ。
すぅ、と暗闇に鮮やかな線を引くようにして、曲がり角の向こうへと消える。
「じゃあね」と笑ってひらひらと手を振る動作一つにも、何故か目が離せなくて。千寿郎は呆気に取られた様子で蛍を見送った。
「…むぅ」
心配は残るものの、別れ際に見せた蛍の笑顔は我慢や建前ではなかった。
回復への近道は千寿郎に近付かないことだというのも理解できる。
(今回は仕方あるまい)
あんな弟の姿を見てしまえば放ってはおけない。
蛍もそれをわかっていて、千寿郎を見ていてと頼んできたのだ。
杏寿郎の視線が、廊下の角から弟へと切り替わる。
幼い両目は興味を示し、ぱちぱちと瞬き廊下の先を見つめていた。