第19章 徒花と羊の歩み✔
「だからね、流石にこの時間はご近所迷惑になるし。千寿郎くんが傍で兄上を落ち着かせてあげないと」
「え?」
「あの槇寿郎さんを落ち着かせられるくらいだもん。この家で一番のやり手は実は千寿郎くんだと思ってます」
「そ、そんなことは」
「割と真面目に」
「蛍さん」
「自信持って」
「蛍さんてば」
「流石煉獄男子」
「…もう」
真剣な顔で次々と突っ込んでくる蛍の姿は、今日一日で見慣れたものだ。
ふざけているようで本心なのだから、なんとも無碍にもできず。やんわりと笑うと共に、千寿郎は肩の力を抜いた。
「…蛍さん」
「ん?」
反応を示さなかった小さな手が、おずおずと握り返してくる。
「もし、よろしければ…私も兄上のお部屋に、お邪魔させてもらえるでしょうか」
「勿論だ」
小さな声で頼み込む千寿郎に、即座に返されたのは蛍の声ではなかった。
「ぁ…兄上っ」
暗い廊下の先。
幾分か距離を開けて足を止めた杏寿郎が、物音一つ立てず立っていた。
「すまん、千寿郎。俺が見落としていたばかりに」
凛々しい太眉を下げ、いつもより控えめな目で笑う。
「蛍も、ありがとう」
「ううん」
その目は小さな腕に抱かれた図譜を見ると、優しく細められた。
「気に入ってくれたのか?」
「ぁ…はい。その、本のお礼が言いたくて…この他にも沢山、色んな本を頂けて…その、」
「うん。千寿郎は童話も好きだったからな。幾つか面白そうなものを選んだが、やはりそれが一番喜んでくれると思っていた」
「…ありがとう、ございます」
きゅっと腕に図譜を抱く。
千寿郎の俯きがちな表情は、膝立ちする蛍にはよく見えた。
(千寿郎くんが一番嬉しかったのは…きっと、)
だからこそ少年の小さな胸の内に宿る思いがよく伝わった。
千寿郎と同じく、妹という立場だったこともあるからこそ。
(姉さんのババロアと同じだ)
与えられた物そのものが嬉しかったのではない。
それを選んでくれた時に寄り添った、兄の思いが何より嬉しかったのだ。