第19章 徒花と羊の歩み✔
「私がいたら蛍さんの具合もよくなりませんし…では、これで…」
そそくさと余った蚊帳を抱いて去ろうとする千寿郎が背を向けた時、その脇に挟んだ書物を蛍の目が見つけた。
(あれは…)
鬼となって夜目もよく利くようになった。
脇に抱えられた書物がなんなのか、表紙の文字を見た時、蛍の足は一歩踏み出していた。
「蛍?」
肩を掴んだ手で止めたのは杏寿郎だ。
強い力ではない。しかし離すことのない手に、蛍の目線がそろりと上がる。
「私は、大丈夫。そこまで気分も悪くなってないから。…でも、今は…あんまり、触れないで」
肩を掴む手に、やんわりと乗る掌。
離して欲しい、と弱くも訴える仕草だった。
「杏寿郎が嫌な訳じゃないよ。でも…そういう空気を、今は、吸えなくて…少し、落ち着きたいだけ」
「……」
「それに今は、私より千寿郎くんを見てあげて。此処にいられる時間の方が、ずっと短いから」
太い眉が、眉間に皺を刻む。
ただ杏寿郎のその表情に、つい先程まで感じていた底が冷えるような圧はない。
眉を下げつつもほんの少しはにかんで、蛍は肩から滑り落ちる手を握り返した。
「ありがとう」
「…蛍、」
「うん。大丈夫。逃げたりなんてしない。杏寿郎とずっと一緒にいたいから。…後で、また話そう」
想いのぶつかり合いも、すれ違いも、些細なことだ。
それくらいで離れるような細い関係を繋いできた訳ではないと、笑う蛍の表情が物語っていた。
それが伝わったからこそ、杏寿郎も強くは引き止められなかった。
深く息をつくと、己の中の猛る熱を冷まさせるように呼吸を整えた。
「…わかった」