第19章 徒花と羊の歩み✔
愛のある家庭だったことは自覚している。
しかし光のように眩かった時期は、余りにも短過ぎた。
弟である千寿郎など物心もついていない間に、その光を失ってしまったのだ。
「千寿郎くんも、そう。大人びているところもあるけど、杏寿郎の前では素直な顔を出せてるみたいだから。他人の私にも人あたりが良くて、芯を曲げず真っ直ぐに育っているのは、きっと杏寿郎のお陰だね」
「……」
「傍で見ていたらよくわかる。杏寿郎が、千寿郎くんにたくさん愛情を向けていること」
柱に就いたが故に、簡単には帰れなくなった我が家。
だからこそ弟に寂しい思いをさせていないか、背伸びをさせていないか、常に心配だった。
他でもない自分がそうだったのだから。
せめて弟には無暗な責任を負わせまいと、その小さな体の前に立ち続けた。
周りに過度だと思われようとも、触れ合える時はとことんまでつき合い、千寿郎を構い倒した。
父や母の愛を受けられなかった分。自分が、与えられるものは全て与えようと。
「羨ましいなって思うくらい。素敵な兄弟だと思う」
ほんのりと声を柔らかくして、蛍が笑う。
この部屋へ訪れてから初めて見せた表情だった。
「槇寿郎さんが愛のひとなら、杏寿郎もそうだよ。…私もそこに何か返せればいいけれど…」
「…返す?」
「貰ってばかりだから。杏寿郎が私にくれるものを、同じには返せないけど。私にできることがあるなら、その心に…私も、与えていたい」
ぱちりと瞬いていた目元を緩めると、杏寿郎は口元に弧を描いた。
「それなら心配はいらない。君が思っている以上に、俺は色んなものを貰っているからな」
「そう…? でも甘えさせてもらってるのは私ばかりで…」
「そうでもないぞ。俺も甘えている」
「そう、かな…」
告げられてもぴんときてはいないのか。頸を傾げる蛍に、杏寿郎は尚更笑みを深めた。
無自覚に向けてくるその心が、言葉が、どれ程己を満たしてくれているのか。彼女は知らないのだろう。
柱としての仮面を脱ぎ取り、ただただ求めるだけのどんな欲も、無条件に許してくれている。
己の取り巻く周りのものにも目を向け、一歩ずつでも歩み寄ろうとしてくれている。