第19章 徒花と羊の歩み✔
「でなければその身を喰われたいなどと思おうか」
「それは…生きることを、諦めるくらい…姉さんの体は、もう、限界だったから…」
「そうだとしても。君の姉君が死と引き換えにして手に入れたかったものは、安息だけではない」
「…?」
「それならば早々と死だけを望んだはずだ。それでも己の体に鞭打ち、最期に姉君が言葉にしたことはなんだ? 己を殺してくれと、喰ってくれと懇願した思いだったか?」
じっと見つめてくる杏寿郎の目に問われ、思い出す。
最愛のひとを腕に抱いた、最期の瞬間を。
『我儘で…ごめん、ね…辛い…思い…ばかり、させて…』
血と嗚咽と涙。
ひゅーひゅーと掠れた息を零しながら。
苦しそうに喉を詰まらせ、それでも姉は言った。
『でも…お願い…蛍は…生きて…私のぶん、まで…命を、繋いで…私の──』
憶えている。忘れはしない。
あの日あの時、向けられた言葉の全てを。
「私の、骨も…血も、肉も…あげるから…生きて、って…いつか笑える日が…くるから、って」
ぽとりぽとりと零していく。
蛍の奥底に残る姉の思いを耳に、杏寿郎はうむと口角を緩めた。
「姉君が己の死と引き換えにしたのは、苦しみからの解放だけではない。…蛍自身との繋がりだ」
死を望まれ、しかし貴女は生きろと告げられた。
「残されゆく者にとっては、どれであっても身勝手な言葉かもしれない。逝く者の想いは逝く者の、残される者の心は残される者にしかわからない。…だが、託したい何かがあったはずだ。母上にも、姉君にも。でなければ死の間際に己より他者を思うことができようか」
「……」
「君を誰よりも傍で見てきた姉君だ。その牙を求め己の身体を差し出したのは、君が最早以前の君ではなくなっていたことに気付いていたからだろう」
鬼という概念はなかったかもしれない。
しかし目の前で男達を八つ裂きにした妹の姿に、人の道理から外れてしまったことは理解していたはずだ。
「だから託したのではないか。君が君でなくなってしまう前に。姉君の愛した君を、忘れさせない為に」