第19章 徒花と羊の歩み✔
「──…きっかけは母の言葉だっただろう。託された思いを胸に、生きていかねばと思ったからだ」
頼みますと告げられたのだ。
だから最愛の母を亡くし、父に見放され、弟が剣士の道を途絶えさせても、前を向けと己を叱咤し続けられた。
「俺を支えて、鬼殺隊の地に足を縫い付けたのは、その言葉だったかもしれない」
それはひとたび見方を変えれば呪いにもなる。
蛍の世界の全てを形成していた姉のように。
「それでも鬼殺隊の中で炎柱の道を選んだのも、こうして此処に在るのも、俺の意志だ。でなければ鬼としての君を迎え入れて、こうして腕に抱いていない」
促されるだけならば、父に否定された時点で炎柱の道は諦めていた。
言葉を鵜呑みにしただけならば、人を殺した鬼である蛍を受け入れたりはしなかった。
今こうして目の前の存在を愛おしく思い、抱きしめていられるのは、他ならない杏寿郎自身の意思があるからだ。
そこには父も母も弟も関係ない。
「考えたくはないが……もし、俺が君の姉君として。もし、鬼となった千寿郎と相見えたなら…俺は、その小さな牙に頸を差し出しはしないだろう」
「…柱、として…?」
「柱として千寿郎を斬れるかと問われれば、それはわからない。君や竈門少年の妹のように、鬼としてでも生きる在り方を知ったからな。…だが死を選ばない理由は他にある」
そっと添えるだけの温もりが、蛍の頬に触れる。
「君がいるからだ。例え生きることが苦しくとも、辛くとも。君の傍にいたいからだ」
掌で包むように触れて、親指の腹が愛おしく目尻を撫でる。
「甘えるのが不器用な君を、呆れられるまで愛でていたい。君の見る俺の知らない世界を、この目にも焼き付けていたい」
「…っ」
「だから俺は死など選ばない」
凛と通る声に迷いなど一欠片もありはしない。
揺れる瞳に映る自身の顔を見返して「だが、」と杏寿郎は続けた。
「君の姉君はその"死"を選んだ。君に喰われることを望んだ。姉君のことを俺は何も知らないが、その死に様で一つだけわかることがある」
一体それはなんなのか。
目線で訴えかけてくる蛍に、難しいことではないと杏寿郎は笑った。
「君を、心から愛していたことだ」