第19章 徒花と羊の歩み✔
「君と、君の家族のこと。昼間に聞いた姉君とのババロアの思い出のように。どのような暮らしをして、どのようなことに喜んで、どのように生きてきたのか。俺に教えてくれないか?」
「……」
「嬉しかったんだ。君が姉君との話をしてくれた時は。俺の知らない顔をして笑う君の姿に、目を奪われた。もっと知りたいと思った。もっとその顔が、見たいと思った」
優しい声で、優しい瞳で、促してくる。
自分の知らない、その過去が知りたいと。
懇願するその思いは蛍にも十分過ぎる程理解できた。
「俺も知りたいんだ。蛍を蛍たらしめた周りの人々や、その生き方を」
だからこそ言葉に詰まる。
杏寿郎の過去を知れば知る程、その心に寄り添られたらと願った。
自分より大きなその体を、抱きしめていたいと望んだ。
愛おしさが溢れて、想いは尚のこと募った。
しかし自分はどうだろうか。
己を商品として売り付けることでしか見つけられなかった道は、胸を張れるようなものではない。
自分を自分たらしめたものは、姉もそうだが、私利私欲に塗れた男達もそうだった。
だから嫌いなのだ。
同情も、卑下も、憐みも、欲望も。
自分もまた、その醜さを利用してきた人間なのだから。
「……」
「…なんでもいい。聞かせてくれないか?」
押し黙る蛍に、普段の声とは似ても似つかない程そっと優しく、呼びかけてくる。
膝の上に蛍を乗せたまま、杏寿郎の手の甲がはらりと下ろした髪を梳く。
とくりと、ほのかに胸が鳴る。
その体温を離したくないと思った。
「…私は…」
どんな自分でも、綺麗だと言ってくれた。
鬼となった後の自分を、恋い慕ったと言ってくれた。
今まで杏寿郎に貰った言葉を噛みしめると、同じく噛み締めていた唇をゆっくりと開く。
目線を足元に落としたまま、蛍は小さな声を落とした。
「私は、狡い人間だったよ」
思った以上に、声は萎んで出なかった。
「…ずるい、とは?」
しかし声は確かに拾われたようだ。
静かに問いかけてくる杏寿郎に、ぽつりぽつりと蛍の声が落ちていく。
「人に…媚を売るような、仕事をしていて。周りに合わせて、良い顔ばかりしてた」