第19章 徒花と羊の歩み✔
(それだけ、他人の心に機敏なのだろうな)
下手な人間よりも人間らしい。
そんな蛍の姿に、悪いことをしたと思うのに愛おしさは募る。
「でも、杏寿郎もだからね」
「う、ん?」
優しい眼差しで見ていたら、顔を傾けた蛍が不意にこちらを覗いてくる。
唐突な自分への振りに、杏寿郎の返事は一歩遅れた。
「今回のことは、杏寿郎自身が自分が悪いって言ってるからもう何も言わないけど…間違ったことを言っていないなら、自分の意志を曲げられないと思ったなら、その時は槇寿郎さんの拳でも止めていいと思う。…殴り返せとは言わないけど」
「……」
「親子の前に、杏寿郎と槇寿郎さんとで向き合った時に、通したいことができたなら」
「…ふむ」
唐突なのは声かけだけではなかった。
蛍の言葉に、己の顎に手をかけて考え込む。
「…そうだな。俺にも俺の、歩む道がある。蛍と同じに」
結論を出すのに時間はかからなかった。
背を押してくれたのは、父の部屋で初めて見た蛍の姿勢だ。
自分には自分の歩む道がある。そこに踏み入れる気がないのなら、無責任な泥は要らないと跳ね返した。
槇寿郎のような荒々しく何者も受け付けない憤怒とは違う。
静かに前だけを見据え、己の芯を貫き通す様は生前の瑠火を思い起こさせるようだった。
あの大黒柱である父でさえも、止めることができた唯一の存在。
素直に、凄いと思った。
自分は正しいことは口にできても、父を怒らせるばかりでその目を、口を、意識を止めさせられたことはない。
持論のぶつけ合いとは違う。
あれは蛍の心が、確かに槇寿郎に届いた瞬間だったのだと。
「その時は、己の心に従おう」
だからこそ、ほんの半歩程度だとしても進めた気がしたのだ。
拳を受ける瞬間、背ばかり向けて何も見てこなかった父と初めて目が合った気がした。
全てはひとえに、隣に彼女がいてくれたから。