第19章 徒花と羊の歩み✔
「先程も言ったが、あれは俺が悪い。だから蛍が気にすることはない」
「でも杏寿郎は槇寿郎さんを怒らせたくて言った訳じゃないでしょ? ちゃんとそこに伝えたい思いがあったから口にしたんでしょ。それは"悪い"ことじゃないよ」
「うむ…まぁ、そうだな。だがあれは蛍が隣にいてくれたからだ」
「私が?」
「ああ。君がいてくれたから、俺一人では口にできなかったことを伝えられた」
煉獄家の大黒柱は、紛うことなく炎柱であった槇寿郎だ。
しかし影ながら一家を支えていたのは、母である瑠火だった。
杏寿郎自身、母の強さと意志に何度足場を支えられ、背を押されたことか。
だからこそその存在をこの家から失った時は、家の光そのものが消えたようだった。
暗い家に、澱(よど)む空気。
自暴自棄となった父に、母の死も理解できない幼い弟。
ほんの十代そこそこだった杏寿郎には辛い時期だった。
それでもどうにか再び前へと足を踏み出すことを決めた時、己が弟を導き父を支えねばと小さな胸にも誓いを立てた。
瑠火は病魔により命を落とした。
それは槇寿郎にとって火種のようなものだ。
家の光を失くしたあの日から、簡単には口にできなくなったこと。
父にとって最愛の妻であり、息子にとっても最愛だった母。
だからこそ己が抱える母への思いを間接的にでも伝えられたことは、杏寿郎にとって青天の霹靂だったのだ。
いつ何処で最愛の者の命が尽きるかなど、誰にもわからない。
鬼を前にした時なのか、家で布団に包まれている時なのか。
だからこそ立場など関係なく、蛍を望むと胸を張って伝えられた。
いつものように一人で挨拶に向かっていれば、できなかったことだ。
(守るべきものがあるというのは、こんなにも人を変えるものなのだな…)
無垢な人々や最愛の弟や鬼殺隊の仲間とはまた違う。
己の人生全てを賭けてでも傍で守り続けたいと思えるひとが、たった一人この世にいる。
それだけで、こんなにも変われるものなのかと杏寿郎は尚深く微笑んだ。