第19章 徒花と羊の歩み✔
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すい、と頭上から滑り込むように滑空してくる小さな虫。
四枚の羽根を広げてなめらかに飛ぶ姿を、蛍は竹笠の下から覗き見上げた。
(あ。赤とんぼ)
真っ青な夏の空に、真っ赤な尾が映える。
つい目で追えば、その姿は先を歩いていた等しく赤い髪に重なった。
赤い髪ではなく、毛先のみ色鮮やかに朱に染めたるは杏寿郎の頭だ。
それを追い越し飛んでいくトンボに、杏寿郎の目も止まる。
「アキアカネか。秋も近いな」
「赤とんぼって言えば、秋の風物詩な気がする」
「そうでもないぞ。蜻蛉(とんぼ)が一層飛び交う時期は、夏の終わりから秋の初めにかけて。夏場に体を成熟させて、山から下って来るのだそうだ」
「そうなんだ。杏寿郎、詳しいね」
「幼い頃、この季節にはよく捕まえていたからな。網を手に追いかけ回したものだ」
子供であれば違和感などない自然な姿だ。
ただ蛍が知っているのは、柱となった後の杏寿郎のみ。
過去の話を幾度聞いていても、実際に幼い杏寿郎の姿は一度も見たことがない。
(多分、今と同じ大きな目が好奇心でくるくる回っていたんだろうけど)
偶に子供のような無邪気な顔を見せる杏寿郎だからこそ全く想像がつかない訳でもなかった。
それでも杏寿郎の口から過去の話を聞くと、思いを馳せるのだ。
一体どんな幼子(おさなご)の姿をしていたのだろうと。
「にしても、全然夏の終わりの気配がないんだけど…」
「はは、今日も一段と暑いな!」
京都で盆を迎えた時と暑さはそう変わらない。
残暑のような気候は、頭から足先まで皮膚を隠している蛍には幾分、堪える。
爽やかな杏寿郎の笑顔を前にしても簡単には吹き飛んでくれなかった。
くたりと肩を落とす蛍を気遣う為か。先を歩いていた杏寿郎がふと足を止める。