第19章 徒花と羊の歩み✔
「私の名前は彩千代蛍」
「あ?」
「鬼になって数年の新参者。手をかけた人間は初めて鬼化した時に数人。それから人は殺してない。好きな食べ物はワイン。嫌いなものは…そうだなぁ…」
「は? 急になん」
「偶に頭に響く、鬼舞辻無惨の"殺せ"って声」
「!」
すらすらと己を簡潔に語りながら、その場に屈む。
視線を合わせるように。
「大切なひとは、鬼になった時に一度失くした。でも今は、何よりも大切なひとがいる。鬼になった私も受け入れてくれたひと。だから私は人と生きている」
「……」
「貴方の名前は?」
「…ァあ?」
「次は貴方のこと。教えて」
縦に割れた血のような瞳。
語る口から垣間見える鋭い牙。
陶器のような白い肌。
細い指先にずらりと並ぶ鋭い爪。
人の匂いを混じらせているが、血の匂いも感じる。
目の前の女は、確かに鬼だ。
しかし女はなんと言っただろうか。
人と生きていると言ったのか。
「お前、頭が可笑しいんじゃねェのか」
餌である人間を大切なひとだと言った。
だから共に生きていると。
それだけではない。
鬼狩りと共に現れ人を助けたということは、その鬼狩りとも共存しているということだ。
その証拠に、あの派手な髪色の鬼狩りは蛍に一切の殺気を向けていなかった。
「傍(はた)から見れば、そうかもね。でも人を喰べない鬼を理解してくれる人もいる。だから私は此処にいる」
鬼の反応は、蛍には予想範囲内のものだった。
面食らうこともなく、つぶさに目の前の情報を取り入れ観察する。
「…足、大丈夫?」
頭ごなしに否定されては会話は進まない。
少し考えた後、蛍は徐に懐へと手を差し込んだ。
相手に見えるように、ゆっくりと取り出したのは小さな薬包。
「鬼にはあんまり効果ないけど、鎮静剤。必要なら」
「はア? 鬼に薬が必要かよ」
「でも痛みはあるでしょ。鬼だからって、我慢する必要はないと思うから」
鬼と成ってから、凡そ男が考えたこともない思考だった。
綺麗に斬られた脚を見る蛍の目は、本気で案じているようだ。
その言動に、男の目が更に見開く。