第3章 浮世にふたり
『大丈夫、だから、ね』
大丈夫だよと言い聞かせた。
何度も何度も。
姉さんにじゃなく、自分自身に。
それでも姉さんのその言葉を聞けば、いつも不思議と安心していたから。
それでも姉さんがよく向けてくれていた、優しい笑顔は真似できなかった。
嫌だ。怖い。逃げたい。誰か。
体を蹂躙されることに恐怖を覚える。
下手すれば涙が零れそうになって、震える唇を噛み締めた。
大丈夫。大丈夫だから。
世界でひとつだけでも守りたいものがあれば、私はきっと強くなれる。
それは真っ白な雪が降り積もる師走間近のこと。
後にも先にも、声を上げて泣く姉さんを見たのはその時限りだった。
それからは日々が駆け足で過ぎていった。
姉さんは体を酷使した所為か、病を発症し床に伏せるようになった。
元々母も病弱だと聞いていたから、遅かれ早かれ同じ道を辿っていたのかもしれない。
日々の生活と、膨らんだ借金と、姉の治療費。
その為の働き漬けな毎日は、辛くないと言えば嘘だ。
それでも私の世界は姉さんの傍にあったから。
「おかえり」と迎えてくれる言葉があるだけで、前に進めた。
『なぁ、』
足が止まったのは、小さな歪みに躓(つまず)いてしまった所為だ。
『見ろよこれ』
『なんだ? こりゃあ柚霧の稼ぎか』
『へぇ、大した額だ。此処いらじゃ上玉だもんなァ』
『付けた借金も減っていってるし…このままじゃ、近いうちに足を洗われっちまうぞ』
柚霧は、私の源氏名のようなもの。
知った名を小耳に挟んで、部屋の前を通っていた足を止めた。
盗み聞いたのは、あの男達の会話だ。
遊郭ではないから、足を洗うのに花魁が必要な身請けなんて制度もない。
借金さえ返済し切れば抜け出せる。
そこに男達の不満が向けられていた。
何を言われようとも、借金を返せば即抜け出すつもりだった。
後は細々と貧しくとも、姉さんと二人で生きていこう。
細くなった体でも必ず起きて私の帰りを待っていてくれる姉さんが、安心して眠れるように。