第18章 蛹のはばたき✔
「そんなこと言われたら…私、我儘になるよ。さっき、みたいに」
「先程の涙が蛍の我儘なのか? だとしたら愛くるしい甘えだな。駄々の一つにも入らない」
「…杏寿郎は、私を甘やかし過ぎだと思う…」
「君が甘えないからな。つい甘やかしたくもなる。だが今は、蛍のことを受け止めていたいだけだ。可笑しなことか?」
「……」
「そうだろう」
言葉はなくとも、交わる視線で想いは伝わる。
長い目尻の睫毛を跳ね上げて笑う杏寿郎の笑顔は、いつもと何も変わらない。
その心と同じように。
「っ…うん」
隊服を掴んでいた手を離し、隙間を埋めるようにして蛍は広い背に腕を回した。
「鬼とか、人とか、そんな枠組みで、もう見ないから。杏寿郎のこと」
「うむ」
「柱としての杏寿郎は、人々の為に在っていい。だから…それ以外の杏寿郎を、ぜんぶ、私に、ください」
「…うむ」
僅かばかりに強くなる、鬼にしては弱い抱擁。
それでも初めて蛍から求めた束縛だ。
その甘さに酔いしれるように、杏寿郎は目元を細め口角を緩み上げた。
「ただの杏寿郎としての俺を全て、君にあげよう。代わりに鬼に尽くす鬼としての君以外を、全て俺のものにさせてくれ」
「…うん」
返されたのは、太い腕で広い胸で、覆う程に強まる抱擁。
背を反り受けたその束縛は熱く、蛍の心に火を灯す。
ふわりふわりと頬を擽る焔色の毛並みが心地良くて、じわりとまた視界は深く滲んだ。
群青色の夜空に灯された、赤々と燃え上がる鳥居文字。
波間には光の川と化した灯篭がぽつぽつと重なり流れゆく。
涙で滲んだ視界にぼやけて映る灯の残像は、淡く膨らみ重なり合う。
(…きれい)
まるで杏寿郎と佇む世界そのものが、きらめいて見えた。
ただ二人だけの、この世界だけが。
輝き生まれて、新たに芽吹くように。