第18章 蛹のはばたき✔
下から見上げるようにして目が合ったのは、杏寿郎の大砲のような掛け声に睨みを解いた弁慶。
しかし隈取にて縁取った黒い口元を深く吊り上げると、どんと強く足を踏み鳴らした。
まるで杏寿郎の大向こうにより一波起きたかのように、太鼓の音頭と観客の手拍子に合わせ、手足を東西南北そして天地の六方向に向けて突き出し弾ませ飛び跳ねる。
鮮やかな六方でひらりと蛍の頭上も飛び越えると、弁慶は皆の声援に送られながら退場を果たした。
盛大な拍手と音楽を最後に、華やかな終わりを告げる。
ぽかんと花道に手をついたまま見送っていた蛍もまた、その波に呑まれ胸を躍らせた。
「凄い! 最後の! まるで飛んでるみたいだった!」
「うむ! 見事な飛び六方(とびろっぽう)だったな!」
「つか耳痛ぇ…炎柱様、掛け声するならするって言って下さいよ…」
「大向こうは宣言してするものではないからな! 悪かった!」
「あないに凄い大向こうオレ初めて聞きました。流石炎柱様やわ!」
「ははは! ありがとう少年!」
劇場の高揚さを継ぐように各々が声を上げる。
中でも興奮を隠しきれないでいるのは、初めての歌舞伎を間近で体験した蛍だ。
「でもなんで"成田屋"なの?」
「それがあの役者の屋号だからだ。それによって呼び名も変わる」
「成程…あ。私、勧進帳の意味わかったよっ弁慶が関所を通る為に持ってると偽った巻物でしょ?」
「うむ。よく見ていたな、感心感心! 勧進帳は、寄付金を集める為の旨を記した帳面のこと。関所を通る為の通行証にも成り得るものだ」
「だから必要だったんだね」
「難しい言葉が連ねられている帳面だ。白紙のそれを弁慶が読み上げられたのは、元々彼が寺の僧の出だったこともあるが、それでも咄嗟の機転であそこまで浪々と読み上げられるはずもない。弁慶という男の知識と機転と度胸が垣間見える瞬間だな。天晴れだった!」
「そんなに凄いことなんだ…私、つい途中途中で弁慶が見せていた構え?の方ばかり目がいっちゃって」
「見得だな。不動の見得、元禄見得、石投げの見得と、弁慶が魅せるだけでも種類が多い。この話一つで歌舞伎の醍醐味を思う存分味わうことができる。蛍が惹かれるのも当然のことだ」