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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第18章 蛹のはばたき✔



 片手を舞い上げ、静止の姿勢で富樫が見得(みえ)を取る。
 その弁慶の思いに応えるかのような姿に、わっと観客から拍手が上がった。
 ポン、ポン、と始まりを告げる時のように響く堤太鼓に、するすると定式幕が左へと駆け抜ける。
 花道に躍り出た弁慶を一人残して、舞台は颯爽と終わりを告げた。

 一人、観客のすぐ隣を歩む花道に残った弁慶が、道の先に目を凝らす。
 まるで遠く逃げ果せた義経達を見届けたとばかりに唇を噛み締め、ゆっくりと瞼を伏せる。
 天を仰ぎ、関所に頭を下げ、一つ一つの動作に念を込めるかのように。

 静かに思い馳せていたかと思えば、次には高らかに鳴り響く笛の音と「いよーぉ」と響く奏者の掛け声。
 途端に足を踏み鳴らし、右手を逸らし掲げ、金剛杖を左脇に構え、緩急をつけて魅せる弁慶の見得は圧巻だった。


「成田屋!!」

「よッ! 成田屋〜!」

「!?」


 一階客間の後ろから突如と響く人の声。
 蛍が驚き振り返るも其処に役者はいない。
 舞台が始まると延々視線は舞台に釘付けだったが、初めてその目が役者から逸れた。


「え、何」

「大向こうだ」

「おおむこう?」

「ここぞという時に場の熱気を上げる客達の掛け声のことだ」

「そ、そんなことしていいんだ」

「うむ。時と場合にはよるが」

「そうなの?」


 鳴り響く拍手の波に、杏寿郎の張りのない声は珍しくも聞き取り難い。
 どうにか耳を傾けながら歌舞伎の見どころを忙しなく探す蛍に、杏寿郎の口元が弧を描く。


「今一番の時を見計らえばできる。見ておくといい」


 カン、カン、と太鼓の鋲(びょう)を打ち鳴らす。
 その拍子に合わせて弁慶が指先を、足を、眉の動きをなぞらえる。
 段々と速まる鋲の打ち音に、カカン!と小気味良い響きが一瞬の静寂を作る。
 びしりと片足で立ち構えを取った弁慶が、左右真逆の"睨み"を効かせ、ここ一番の見得を取った。


「成田屋ッッッ!!!!!!」

「うわはっ」

「うおっ」

「ぎゃっ」


 息を吸い込む初動もなかった。
 腕組みをしたままびりびりと空気を震わせ飛ばす杏寿郎の大向こうに、傍にいた人々が何人か反り返り、はたまたつんのめる。
 蛍もまた例外ではなく、衝撃波のような声の波動に押され思わず傾いた体が花道へと手をついた。

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