第18章 蛹のはばたき✔
寄り添う肩はそのままに。
頸を傾け、蛍の顔に影を作る。
目の前の雄大な景色に見とれていた蛍が、ふと影に気付いて目線を上げた。
唇が触れたのは、ほんの一呼吸だけだった。
微かな熱の触れ合いはその刹那、全ての音と景色を置き去りにした。
そこに在ったのは、ただ二人の吐息だけ。
「──…」
ふ、と一呼吸置いてゆっくりと熱が離れる。
視界に被さる影が離れれば、口元の端から目尻の隅からどうしようもなく表情を綻ばせる杏寿郎が見えた。
「──俺もだ」
静かな声の欠片一つから、愛情に満ちた響きが届く。
多くの言葉は要らなかった。
交わる視線、伝わる体温。
交わした感情の色だけで、蛍の心は雨に潤う砂地のように満たされる。
どちらからともなく幸福を形にした笑みを残し、目線は先の山並みへと向く。
同じように頸を傾け頭を寄せる杏寿郎に、ふわりと柔らかな稲穂髪が蛍の頬をくすぐる。
体温を分け合うには蒸し暑い季節。
それでも握った手を離すことなく寄り添う。
水面で身を冷やした夏風が、そんな二人を愛でるようにゆるやかに吹き抜けた。
「…っ…」
どくどくと胸の鼓動が高鳴りを増す。
顔に集中する熱を逃がすことができずに、清は両手で顔をぺちりと覆った。
後藤に野暮なことはするなよと告げられたが、見るなと言われれば見たくなるのが心情と言うもの。
どうしても気になってしまい、ほんの少しだけと盗み見た屋形船の最後尾。
背を向けている二人の顔は見えない。
しかしそれがあるべきものの姿のように、手を取り合い寄り添う姿は極自然なものに見えた。
何故人と鬼が、などという疑問の前に、何故だか胸の鼓動が増し熱くなる。
慌ててぐるりと戻した顔は、もう振り返れそうにない。
「…えらいもん見た…」
「だから野暮だって言ったろ」
まるで背中に目があるかのように、冷静に突っ込む後藤には無言の同意を込めて。
顔を両手で隠したままこくりと頷く少年の熱も冷やすかのように、心地良い夏風は二人の間をさらりと通り過ぎていった。