第18章 蛹のはばたき✔
差し伸べられた手を握る。
ゆっくりと体を起こせば、眩暈は治まっていたもののほんの少し体がふらついた。
「大丈夫か? まだ寝ていてもいいが」
「ううん…杏寿郎と同じ目線で、いたくて」
強くも優しくも導いてくれる、その心に縋るだけのことはしたくなかった。
握った手は放さずに、杏寿郎の隣に腰を落ち着ける。
ふと離れた船の先を見れば、敢えて視線はこちらへ向けず景色観賞をする後藤が見えた。
その隣に座る清も、そわそわと体を揺らしているがこちらを見ようとはしていない。
空気を読んでの行動だろう、その姿にほのかに笑みを含むと、二人の行動に今は甘えることにした。
「蛍?」
寄り添うように肩を寄せて、傾けた頭をぽふりと羽織に預ける。
「まだ体調がよくないのなら…」
「ううん。もう大丈夫。…こうして、いたくて」
視線は外に向けたまま、包むように握られている掌を伸ばして、太い指に己の指を絡める。
眼光の強い杏寿郎の目が、ぱちりと年相応に瞬いた。
「昔の杏寿郎は、話でしか知らないけれど…今こうして同じ目線で見る景色は、私だから見られているのかなって。そう、思うと」
鏡のように反射する美しい水面に浮かぶ。
其処から眺める何処までも続く山並みは、視界を覆い尽くし世界を染め変えてしまうような青々しさ。
稲荷山では蝉時雨のように届いていた夏の風物詩が、山並みから届く声はちりちりとか細く。
目の前の光景に程好く音楽を添えて、虫達の歌を奏でている。
初めて見る、幾年でも心に残るような景色を。
誰よりも傍にいて欲しい人と共に、眺めるひと時。
「すごく贅沢だなぁって、思って」
ただそれだけで、蛍の知らない杏寿郎の十余年の空白を埋められる気がした。
「すごく、しあわせだなって…そう、思って」
ぽつぽつと零れるように落ちていく心の声。
その声に耳を傾けていた杏寿郎は、自然と導かれるようにその目も傾けていた。