第18章 蛹のはばたき✔
「後悔なんて、しないよ」
「ああ」
予想内の応えだったのか、驚く素振りもなく頷くと、杏寿郎の頭がゆっくりと下がる。
蛍の顔をそうと覗き込むように見つめて、その耳に届くだけの声量で囁いた。
「それにもう俺が手放せそうにない。女性としての蛍だけでなく、継子としての君も」
伝えてくる言葉は、今の杏寿郎を知っていれば可笑しくもない。
しかし普段豪快な声量を抑えて、秘め事のように伝えてくるからか。
視界に落ちてくる影の中で凛と光る二つの双眸。
頬に熱を持ちながら、蛍はその視線から逃げるように目を逸らした。
流れる視線、揺れる睫毛、上下する喉元。
蛍の一つ一つの感情を拾い集めては、杏寿郎の笑みが深くなる。
「俺も随分と、欲張りになってしまったものだ」
そんな些細な仕草でさえ、どうしようもなく愛らしく感じるのだから。
「…杏寿郎…近い…」
「嫌か?」
「嫌じゃ、ない、けど」
「髪で顔が埋まってしまうか」
ふわりと蛍の頬をくすぐる、稲穂のような柔らかな金の髪。
先程と同じやり取りを返す杏寿郎に、逃げていた蛍の目線がそろりと戻ってくる。
「別のもので色々、埋まってしまうから」
「ふむ?」
「それでも足りないって、思ってしまうから」
「…蛍?」
「私だって欲張りだよ。私の知らない昔の杏寿郎の傍にいられたらよかったのにって、何度も何度も思うから」
初任務で多くの同胞を見送った時も。
父に背を向けられ突き放された時も。
味覚を失い眠れぬ夜に苛まれ続けていた時も。
傍に寄り添い、何をできなくとも抱きしめていたかった。
一人で立ち進んできたその背を支えて、その心を包んでいたかった。
「もっと早く、杏寿郎と出会えていたらって。無い時間を欲してしまうくらい欲張りになる」
しかしそれはどんなに願っても叶わないこと。
そのもどかしさに、想いは尚の事募るのだ。