第18章 蛹のはばたき✔
千寿郎に余計な不安を与えたくなかった為か。
父に注意という形でも目を向けて欲しかった為か。
思い通りにいかない己の身体に憤りがあった為か。
煉獄家が"家族"であった頃の自分を置き去りにしない為か。
どれもが答えであり、明確な理由でもない。
「今は…?」
初任務の話をした時も、蛍はそうだった。
聴覚を自ら潰した杏寿郎の耳に触れて、今はもう大丈夫なのかと心配していた。
静かに頸を横に振ると、杏寿郎は笑みを浮かべた。
「味覚が戻った時は、本当に嬉しかったんだ。だから今も美味いものを美味いと感じられることに、つい声を上げてしまう。千寿郎もその方が料理に力が入ると言ってくれたし、父も何も言わないからそのままにしているんだがな」
先程の穏やかな笑みとは変わり、どこか子供っぽさも見せるくしゃり顔。
年相応にも見える、蛍が好きな杏寿郎の笑顔の一つだ。
それだけ杏寿郎にとって過去のものになったのだとほっと胸を撫で下ろしながら、今一度彼を見上げた。
「でも、なんで味覚がなくなったり…」
「うむ。いくら体力に自信があっても、己の体を苛め過ぎた結果だった。心に余裕がなかったこともあるが…当時の花柱に体調の変化を指摘されてな。その時初めて、自分の過ちに気付いた」
「花柱なんていたんだ」
「胡蝶の姉だった人だ」
「! 胡蝶、の」
「今の胡蝶と同じく、鬼殺隊の医療全てを担っていてな。何も告げていないのに、食のことも睡眠のことも見事に見破られてしまった」
胡蝶カナエ。
しのぶの実姉である彼女は、杏寿郎がその名を知った時には既に柱の地位に就いていた。
誰にでも平等に優しく、しのぶと並び誰もが目を止める程の美女であった彼女は、診療所の天女のように隊士達から慕われていた。
『煉獄くん。人の身体は鬼とは違うから、延々に活動し続けることはできないの。適度な休息も、成長の為には大切なことよ』
その柔らかな笑みで急所を突くかの如く、杏寿郎の異変を見破ったのだ。