第17章 初任務《弐》
じっとその顔を見つめたまま、蛍は渡された容器を受け取った。
杏寿郎に見抜かれた通り、喉はまだ乾いている。
しかし今度は血を見つめたまま蛍は動かない。
どうしたのかと杏寿郎が頸を傾げれば、やがてぽつりと。
「…同じだったら何か変わったのかな…」
その口から零れ落ちたのは、曖昧な願いだった。
「なんのことだ?」
「華響にも、私にとっての杏寿郎みたいに心から支えてくれる人がいたら…あんなふうに、ならなかったのかな」
蛍にとって初めての、人に"化け物"と称される鬼。
それは話に聞いていたような、血肉を求め辺り構わず喰らおうとする鬼とは違った。
理性があり、知性があり、選り好みするだけの偏食も持ち合わせていた。
もし定期的に血を提供してくれる人間が彼女にもいたならば、人を殺す鬼には至らなかったかもしれない。
「隠の彼から、蛍とあの鬼との間にあったことは概ね聞いている」
「言葉は、通じたの…話だってできた。でも歩み寄れなかった」
蛍の知らない世界を生きてきた華響の言葉にも、それ相応の重みがあり反論できなかった。
それでも自分にしかない経験があるからこそ、新しい道を拓かせることができると思っていた。
しかし蛍の何をも華響が知らないように、蛍もまた華響の何をも理解していなかった。
そこに生まれた溝は、付け焼き刃の言葉では埋められない。
「声は、届いてくれなかった」
項垂れるように蛍の頭が下がる。
結っていない髪が顔を隠し、杏寿郎にはその表情を伺うことはできなかった。
それでも理解できたのは、蛍が亡き鬼に未練を残しているということ。
「君は──…」
言葉はそれ以上音にはならず、呑み込む。
「…血を飲みなさい。その為に渡したものだ」
一息の沈黙を取ると、杏寿郎は静かに未だ蛍に握られたままの血を促した。
「飲み終えたら準備をしよう」
「…準備?」
ようやく顔を上げた蛍の緋色の瞳に、杏寿郎の顔が映り込む。
穏やかな笑みはいつの間にか消えていた。
静かに凛と光る金輪の双眸だけが、蛍を見据えている。
「つき合って欲しいことがある」