第17章 初任務《弐》
「じっとしててね」
「何を…」
「いいからじっとしてること。いいって言うまで動いちゃ駄目」
「む」
両手を伸ばして蛍が触れたのは、柱だけが所有している金でできた隊服のボタン。
ぷちりと襟首のボタンだけを外して中のシャツも緩めれば、常日頃きちんと隊服を着こなしている杏寿郎にしては珍しい姿が晒される。
長い焔色の髪を、緩く梳いて背中へと流す。
そうして露わになった太く健康そうな首筋に、蛍は顔を寄せた。
首筋に感じる温かな吐息。
ふにりと触れる柔らかな感触は、紛うことなき唇だ。
「ほ──ッ」
突然の行為に思わず呼びかけた名は、鋭い痛みに止められた。
人間より遥かに鋭い犬歯が、ぶつりと杏寿郎の皮膚を貫く。
耐えきれないものではなかったが、太い眉をつい顰めてしまう。
それでも体を反応させたのは一度きりで、握った拳を膝の上に置いて言われた通りにじっと動かなかった。
「ん…、」
噛み付いていた牙を離すと、今度は舌を這わせて蛍は滲む血を舐め取った。
血がシャツを染めないように丹念に舌で拭い取りながら、こくりと飲み込む。
嚥下は一度だけで顔を離しながら、血の付いた紅のように赤い唇を片手で隠すように覆う。
その目はぎこちなく杏寿郎へと向けられた。
「もう、いいよ」
「う、む」
「これで、おあいこ。…ってことで」
「蛍、」
「やっぱりごめん!」
「後悔が早いな!」
痛みを伴ったはずなのに、ほのかに甘い空気が漂う。
我慢していた拳を解いて、血を飲んだ所為か血色よく見える蛍の頬に手を伸ばした。
かと思えば土下座の勢いで頭を下げられ触れることは叶わず。
甘酸っぱさなど蛍により早々と破壊された。
「か、噛み付くとか…っ痛かったよねごめんっ」
「何故謝る。痛みがあるから成り立つのだろう?」
「でもやっぱりやり過ぎた感が…っ」
「大丈夫だ、問題ない。寧ろ蛍の牙で傷を付けてもらった方が俺の心は軽くなる」
一人で顔を青くする蛍に、杏寿郎はきっぱりと頸を横に振った。
例え都合の良い解釈だと思われようとも、蛍から貰う痛みにこそ意味があるのだ。