第17章 初任務《弐》
「その歌は私には効かない」
しかし蛍もまた微動だにすることなく、女を睨み付けたまま告げた。
「歌っても無意味だから」
『俺は一度も女に触れてはいない。ただ一つ接触があったとするならば…歌、だな』
『歌?』
『女が常に口にしていた歌があった。誰もが知る童謡だ。花吐き病の発端となるものがあるとするなら、恐らくそこだろう』
『じゃあ、歌を聴かなければ…』
『花吐き病には、かからない』
二度目の稲荷山に向かう前に、杏寿郎は蛍に助言していた。
炎柱の目利きならば、まず間違いない。
「 通 り ゃ ん せ 」
「だから効かないって言ってるでしょ…!」
尚も紡がれる歌に、蛍は更に一歩踏み出した。
今度は地面を叩き付けることなく、長い着物の裾の間から振り上げた足で払いをかける。
「私は花吐き病なんかで死なない!」
鍛え抜かれた鋭い蹴りは女の細い足など、簡単に砕く。
しかしひゅおりと風を切る感覚だけで、あるはずの衝撃は蛍に起きなかった。
女の脛に蹴りを放ったはずなのに、気付けば目の前から女の姿は消えていた。
ふわりと、鼻を掠める甘ったるい匂い。
「 お ま エ 」
低く野太い声だった。
「 人 間 デ は な い ナ ? 」
ぞわりと肌を粟立たせるような、腹の奥底から這い出る声。
その声は蛍の睨む先ではなく、うなじをねとりと這ってくる。
見開いた右目を覆い尽くす程の黒。
等しく見開いた女の眼球のない真っ暗な空洞が、至近距離で蛍を睨んでいた。
危機感よりも僅かに恐怖が先立つ。
ひゅっと蛍の息がほんの少し乱れた瞬間、がつりと女の白い手がその頸を鷲掴んだ。
「ぐ、うッ」
物凄い力だった。
たちまち女に馬乗りに跨れ、蛍の体が地面に押し倒される。
「 鬼 か 」
歌う声は透き通るように綺麗だったというのに、喋り出した途端に喉を潰したようなしゃがれた声と変わる。
「 何 故 鬼 が 此 処 に イ る 。妾 の 餌 ノ 横 取 り 二 来 た カ 」
「っ…」
ぞわぞわとうねる長い黒髪が、意思を持つように蛍の顔を覆い始めた。