第16章 初任務《壱》
(じゃあ、杏寿郎は誰に甘えるの?)
家族にも、仲間にも、自分自身にさえも甘えを見せていない。
他者への愛は揺るぎなく溢れているというのに、己の弱さには一切目を向けていないのだ。
杏寿郎自身が、幾重も燃え上がる炎のような志を持つ者。
そんな彼には、元より弱さなどないのかもしれない。
しかし語る同胞の死を悼む最後の瞳には、表情には、確かに憂えがあった。痛みがあった。
弱きものの心に寄り添えるのは、その弱き心を彼自身が知っているからだ。
「…すごいね、きょうじゅろうは」
「うん?」
「すごく、がんばったんだね」
胸に埋めていた顔を上げる。
幼い手を伸ばして、柔らかな獅子のような髪をくしゃりと梳いた。
「わたしなんかじゃそうぞうもつかないくらい、いろんなこと。いっぱい、がんばってきたんだね」
ふわりふわりと揺れる癖の強い髪を、優しく撫でる。
何をどう伝えれば、この胸の奥を渦巻く感情が彼に伝わるのか。
わからなかったが、それでも言わずにはいられなかった。
「ありがとう」
「…何故、礼を言う?」
「だって、いままでのきょうじゅろうがいてくれたから、こうしていま、わたしはことばをかわせてる」
大人しく頭を撫でられるがまま、見下ろす杏寿郎の大きな瞳に映り込むは、幼い少女。
「いままできょうじゅろうがしんじたみちをあゆみつづけてくれたから、こうしてであえて、ふれられて、こころをかわすことができてる」
「……」
「わたしに、ひとらしいかんじょうをもたせてくれたのは、いまのきょうじゅろうだから」
あの日救ったただ一つの命である、少女にも似ていて。
そして全く違う感情を、杏寿郎へと流し込んだ。
「だから、わたしのしらないいままでのきょうじゅろうに、かんしゃしたいの。いまのあなたを、わたしのもとにとどけてくれたから」
下る小さな手が、ひたりと頬に寄せられる。
口元に優しい弧を描くと、赤い瞳を愛おしさに火照らせた。
「きょうじゅろうとして、いきてくれて、ありがとう」