第16章 初任務《壱》
車輪の音が、いやに耳に響く。
「あの日、同胞の亡骸を前にして誓ったんだ。君達のような立派な人に、いつか俺もなりたいと」
しかし不思議と、静かに語る杏寿郎の声の方が耳に通った。
あの日のことを思い起こしているのか。目線は蛍へと向いているが、その目は蛍を見ていない。
深く深く刻まれた記憶の欠片へと向き続けるその目に、そわりと心が騒いだ。
「…みみ」
「む?」
「もう、だいじょうぶなの…?」
気付けば、手を伸ばしていた。
そっと耳に触れて尋ねれば、ようやく杏寿郎の瞳が蛍を捉える。
「ああ! その後、然るべき治療は施して貰えた。聴覚が役に立たなくては満足に戦えもしない。完治するまでは安静にと。今では何も支障ない」
「…そっか」
ほっと息をつく。
それでも小さな拳を握った胸の奥。
蛍の微かな胸騒ぎは消えはしなかった。
「面白い話ではなかったな」
蛍の表情からそれを汲み取ったのか、背をあやすように撫でながら杏寿郎が苦笑する。
「でも、ききたかったはなしだから。ありがとう、はなしてくれて」
「そうか? 初任務に赴く蛍の、為になる話とは思えないが…」
「きょうじゅろうのはなしだから、ききたかったの。きょうじゅろうのこと、もっとたくさんしりたいから」
「…蛍?」
小さな体が、そっと寄り添う。
杏寿郎の胸の中に潜るようにして、顔を押し付けた。
任務内容だけではない。
父のこと。
弟のこと。
同胞のこと。
様々な人と関わりそこに向けられる思いに、杏寿郎を形作る人間性の奥底を垣間見たような気持ちだった。
改めてその揺るがぬ芯の強さに、他者へと溢れる愛に触れて、何故彼が太陽のような人に感じるのかもわかった気がした。
それと同時に胸が騒ぐ。
人が変わってしまった父を、それでも信じ続けていること。
心底兄を慕う弟の、希望の光で在り続けていること。
弱きものを心から慈しみ、守る為なら自分をも厭わないこと。
高潔ささえ感じる杏寿郎には弱さがない。
人間であれば誰しも持つであろう自己愛や欲。
蛍を求める欲は別にしても、人間臭さとも取れる弱さが見えなかった。