第5章 柱《弐》✔
「それじゃあ…お風呂、ありがとう杏寿郎。蜜璃ちゃんも、訓練につき合ってくれて。またよろしくお願いします」
「うむ!」
「あ、待って蛍ちゃん」
冨岡義勇を待たせる訳にはいかないと、早々切り替えて頭を下げれば蜜璃ちゃんに止められた。
「必要ないかなと思ってたけど、まだあの口枷を使ってるなら渡したいものがあって」
「?」
「ちょっと待っててね!」
そう言って笑顔で手を振り小走りに去っていく蜜璃ちゃんに、頸を傾げて見送った。
隣を見れば、杏寿郎も腕組みをしたまま頸を傾げていた。
どうやら蜜璃ちゃんしか知らないものらしい。
なんだろう?
薄くなった月明かりの下で、冨岡義勇の背を見て歩く。
間に生まれる沈黙はいつものことで、響くのは私の草履の音ばかり。
カタ、カタ、
それと今日は、別の音も入り混じっていた。
小さな、固い何かが揺れる音。
その原因は私の胸の前にある。
紐で両端を括られたそれを頸に通して、胸に下げているのは小さな板。
真っ黒なその板は、町で覗いた寺子屋で見たことがある。
黒板、というものだ。
寺子屋の先生が、子供達に文字や算盤を教える時に、白い棒で大きなこの板に字を書いていた。
白い棒はチョークと言うのだと、さっき蜜璃ちゃんに教えてもらった。
小さな黒板とチョーク。
帰り際に蜜璃ちゃんに貰ったのは、その一式だった。
『これに文字を書けば、口枷をしていてもお話できるの! 地面に書くより見易いでしょ?』
口枷をしている時は文字でしか会話できない私に、蜜璃ちゃんが善意でくれたものだ。
その気持ちは嬉しかった。
こんな高級品、私みたいな鬼に用意してくれるなんて本当に蜜璃ちゃんは優しい。
カタ、カタ、
歩けば、胸の上で微かに揺れる黒板から音がする。
ちらりと前方の背を見る。
明らかに普段と違うものを身に付けている私に、冨岡義勇は一度目を向けただけでそれ以上関心は示さなかった。
…そうだよね。
私に関心がある訳じゃないだろうから。
でも折角貰ったものだし、使わないと蜜璃ちゃんに申し訳ない。
興味本位もあって、胸の前で黒板を自分に向ける。
そして黒い板の上に、握ったチョークの先を乗せた。