第16章 追想の愛
最初は、頭を強く打ったことによる一時的な記憶障害だと誰もが思っていた。
けれど医者が言うには、後遺症が残るほどの傷ではなかったことと、忘れている記憶が俺たち二人のことだけという特殊さから、もしかしたら精神面からくるものかもしれないと説明された。
事故に遭う前から忘れていた可能性も否定できない…と。
彼女の両親に聞いても、忘れていたかどうかは分からないと言われた。手紙を出してからの数年間、彼女が自分たちに俺たち兄弟の話をすることはなかったらしい。
真相は藪の中だ。でも、彼女の記憶から俺とおそ松兄さんの存在が消えてしまったのは、紛れもない事実で。
立ち直りかけていたおそ松兄さんは、そのせいでまた部屋に籠りがちになってしまい、
俺も、まともに見舞いにすら行けず、彼女と再会できた喜びは一夜にして霧散してしまった。
…特におそ松兄さんは、大きなショックを受けただろう。
事故の日、兄さんだけが彼女に駆け寄りその身を案じた。俺ですら、あまりの衝撃的な光景に足がすくんで動けなかったというのに、兄さんだけが。
あの時、兄さんは言った。彼女を、¨俺の恋人¨だと。
自分から別れを切り出して、彼女を突き放して…全部、終わりにしたんだと思ってた。
なのにやっぱり兄さんは、まだ彼女を好きで、
あんな大勢の前で、警察相手にはっきりと宣言してしまうほどに、彼女を愛し続けていたんだと悟った。
兄さんは兄さんなりに、ずっと後悔していたんだろう。
夜中に、兄さんが洗面所で1人、泣いていることがあった。
後にも先にも、俺が兄さんの涙を見たのはそれきりだったけど、
罪悪感が重くのしかかって、改めて罪の重さを理解した、
死ぬことよりも、辛く苦しい生きる道を選んだのに、
その時初めて、¨やっぱり死ねばよかった¨と絶望したのを覚えてる。
…俺が、彼女の痛みを代わってあげられたらいいのに。
あの病室で横になっているのが、俺ならよかった。
忘れられるくらいなら…俺が、忘れたかった。
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