第10章 生殺与奪
掴んだ腕を力任せに引くと、牡蠣殻の体が半ば浮き上がった。足先で空を蹴りながら胸にぶつかってきた牡蠣殻の重みに鬼鮫の目が揺れる。
小さく息を呑む音。牡蠣殻の呼気。
鬼鮫は頭に血が昇るのを感じた。
殺す。
殺してしまおう。
腕が牡蠣殻の首に絡んで力んだ。加減などない。気道を塞がれた牡蠣殻の喉がおかしな音を出した。
鬼鮫の口からも堪えきれない詰まった声が漏れる。
口吻て止めた昨夜の行為の続きをしているように。
牡蠣殻が鬼鮫の腰に足を絡めた。鬼鮫の腰の軸を足で捉え、身を捻って逃れようともがく。
この小器用な女は強くはないが小技に長け、特にも腰の回転と足を使う技を得手にしている。僅かだが共にいた間、目に入る牡蠣殻全てを見てきた。だから知っている。自分で思っていたよりずっと。
鬼鮫は絡んだ牡蠣殻の足を掴み上げた。
非力ながらも虚を突き攻撃に転じる牡蠣殻の足使いは知っている。予見できる上に文字通り軽い攻撃、見切る見切らないの問題ですらない。
逆さに吊り下げられた牡蠣殻はしかし、自由のきく側の足をぐるりと背面から持ち上げ、バネが弾けるような攻撃に転じた。
「ッ」
重心力の作用で予想外に速く迫った攻撃にのけ反った鬼鮫の鎖骨を、牡蠣殻の爪先が抉る。
寸の間息が詰まり、鬼鮫は笑った。凪いだ風のような攻撃を悪戯に繰り出すしか能がないと思っていたが何かが違う。
膏薬の目立つ顔に叩きつけようと空いた手を大きく振り抜いたのを、牡蠣殻が背中を反らして避ける。視界から消える間際見せた表情に腹が熱くなった。
この女は見せた事のない意地を見せている。何かに腹を立てている。何にかは知らない。しかし、今までになく剥き出しだ。昨夜抱きついてきたときのように。
掴んだ足を差し上げ、攻撃の隙を奪いながら牡蠣殻の顔を改めて見下ろす。
見返す顔は激情を帯びていた。吊り上がった扁桃型の目の中で、黒目が膨らんでいるのが見てとれる。こういうときいつも顔の端にぶら下げていた困惑や迷いの表情は一片足りとも窺えない。
加虐性を帯びた興奮の笑みが鬼鮫の口角を大きく吊り上げた。口端から己の牙が溢れ覗くのがわかる。
堪らない。
手を離して空に放り出した牡蠣殻の薄い脇腹を左から力任せに蹴りつける。
「ぐふッ」
牡蠣殻の体が吹き飛ぶように右に流れた。