第10章 生殺与奪
闇夜が明けて薄曇りながら明るい朝、草の里の豊かな樹花は露に濡れて一層その色を濃く鮮やかに浮き上がらせていた。
鳥の囀りが聞こえる。
樹花が豊富ならばそれに見合って生き物も増える。
ひらひらと寝惚けたように傍らを飛びすぎる蝶を見送って、高居の庭園に佇んだ鬼鮫は物思いに沈んでいた。
何故あんな事をしたのか。
・・・わからない。
顔が見えなかったから、声が聞こえなかったから、手探りで確かめるしかなかった。
本当に、生きているのか。ここに、すぐ傍にいるのか。
闇が薄れてまた互いの顔が見えるようになっても、再び戻るよう掌に口吻たらば、掌に口吻が返ってきた。
傷に触れ、唇を確かめた。膏薬のざらついた感触と乾いた唇のひんやりした冷たさ。
刹那の後に、どちらからともなく腕が緩んで互いの体は離れた。
ただ二つ身の探り合い。その先に進みたい欲は闇の中の不確かさに負けた。
顔が見たい。声を聞きたい。
ひどく重い湿った空気が、青熱れでむせ返るようだった。
松明花と煙草の香りがまだ身に残っている気がする。鎮静作用があると言っていた花を匂わせているという事は、今不安定な状態にあるのか。大体何故表で横になっているのだ。相変わらず度しがたい。
これまでに二度、この腕に抱いたあの覚えある細い身が、昨夜初めて強く我から抱きついてきた事に動転した。
一瞬、身が引けたのが情けない。
思えば砂で求められて手を握り返したときも、寸の間引いた自分があった。
手に入ったと思うのが躊躇われたのだ。
手に入れば失う事を思わずにいられない。失う事を思いながら煩悶するなど考えたくもなかった。
失う?
有り得ない。
考えるだに腹が立つ。
それくらいならば、この手で奪う。再び零れ落とさぬよう完膚なきまで奪う。
気配がした。
後宮の瀟洒な小門が開いて、暗い色味の人影がフラリと現れた。
眩しげに空を見上げた細い体躯から、チャリと金属の擦れる鈍い音がして、庭園の空気を僅かに震わせる。
鬼鮫は目を細めて口角を上げた。大きく足を踏み出して、走る。
「・・・・・・」
鬼鮫を見止めた牡蠣殻が、唖然として目を見開いた。
両の手は力なく脇に垂れたまま、まるで無防備な逃げ巧者。
伸ばした腕が届く。
捕らえた。