第8章 華やかな垣根の向こう
淡く明るい色目が群れる中に、滴った水跡のようにぽつんと暗い色が在る。
鬼鮫の目は即座にその染みを見止めた。
青丹。消炭。紺鉄。 腰に巻いたあの鞄。
傍らの豊満な女から話しかけられ、僅かに首を振って答えている。
女が笑って肩を突いたのに、他愛なくよろめく棒や板のような素っ気ない体。周りの女たちが華やかな笑い声をさんざめかせる。
袷の袖に手を潜らせて、己を突いた女に二言三言、群れを離れて木の下に立つ。海棠が満開だ。
袷の懐を探って煙草を取り出す。燐寸をするのを見ているだけで、ここまで硫黄が匂う気がした。
白い煙が風に棚引く。
結い上げた髪の後れ毛がスウスウ流れた。
女が一人、間近く寄って来た。紗を深く被り、顔を隠しているが嫋やかな風情の女だ。
肩に手をかけて煙草を奪い、紅い口にくわえる。笑いながら煙を燻らせて手を取り、煙草の主を群れへと連れ帰る。
「・・・・鬼鮫・・・まさか、あれ・・・」
息を詰めていたデイダラが、絞り出すような声をだした。
「・・・・眼鏡・・・」
「うん?」
「・・・眼鏡をしていませんね・・・」
女に囲まれて所在なげな姿を見ながら、鬼鮫は呟いた。
眉間のシワまではここから定かに見えようがない。しかし、それが深く刻まれているだろう事は想像に難くなかった。
牡蠣殻。
胸苦しさから呼気を忘れていた事に気付く。
眼鏡こそしていないが、あまりにも変わりない。顎元の膏薬に、やっと気付いた。
あの時の傷か。まだ癒えていないのか。
腕を取りたい衝動にかられる。厚手の袷の下の、細い腕。
膏薬の下、あの深い傷を見たい。
フと、牡蠣殻が、何かに引かれるように首を捻って顔を巡らせた。
鬼鮫は身動ぎひとつせず佇んだまま。
牡蠣殻の扁桃型の黒い目が鬼鮫を捉えた。
それを受け止めて鬼鮫は目を細める。
風がまた吹いて、二人の間に海棠の花片の帯が走った。
その向こう、牡蠣殻はまだ息をしている。
恐らくは温かい肌。相変わらず乾いて薄いだろう手。
生きている。
牡蠣殻は暫し鬼鮫と見合い、やがてツイとその目を反らした。
袖を掴んで離さない紗の女の腕に手をかけ、何事か囁くように耳元に口を寄せる。
女が頷いたその刹那、生温かい風が湧いて華やかな群れは掻き消えた。