第20章 杏可也、そして牡蠣殻。
「こいつには効く。しかし先刻の薬に効くかはわからん」
海士仁は取り留めのない事を言って首に手を当てた。
「一概に毒とは言えぬもの故…」
歯切れ悪く話す海士仁を初めて見た。まともに知りもせぬ相手だが、こういう話し方をする男ではないのはわかる。
何処を痛がる訳でもなく、ただ身を縮めて苦しんでいる牡蠣殻を支えながら鬼鮫は口を引き結んだ。毒の効かぬ筈の牡蠣殻が苦しみ出したので咄嗟に解毒作用の強い山帰来の名を挙げたが、その効用も覚束ない。
牡蠣殻が煽った粉薬、おそらくあれは草が得意の麻薬の類い。
しかしそれにしてはこの反応は尋常でない。
話に聞く麻薬の効きはもっと蕩けるようなものだった筈。だからこそ癖になり足抜け出来なくなるのだ。
「毒でないのならこの人のこの様は何です」
低く尋ねればまた歯切れ悪い答え。
「…拒絶反応かと思う」
鬼鮫の腕から牡蠣殻を引き起こし、海士仁はその口に長い指を突っ込んだ。
牡蠣殻がえずく。
「拒絶反応?」
「文字通りだ。身体が呑んだものに抗っている」
海士仁から口中を探られ、牡蠣殻が嘔吐した。
熟しきった桃の実のような甘い香りに焚き火に燻べた枯れ草。幾種もの効用が混ざりあった奇妙な匂い。
全て明らかに嗅ぎ分ける事は出来ないがこの甘い香りだけは判別が付く。
矢張り麻薬。全く期待を裏切らない…
牡蠣殻がえずいて揺らすその背を立てた膝で支え、肩に腕を回して倒れ込まぬように押さえながら、鬼鮫は杏可也と伊草に目を走らせた。
芙蓉に吸い飲みで牡蠣殻の赤い血を呑ませながら、ぼそぼそと話し込んでいる。時折芙蓉の呻きとも語りとも知れない不明瞭な声が紛れるのが癇に障る。
矢張り殺しておくべきでした。
腹が煮えて頭が冷えた。
…やり過ぎましたね。許しませんよ。
「干柿。向こうが気になるなら行け。邪魔だ」
吐いた牡蠣殻に水を呑ませようと水差しを手に取った海士仁が苛立った声で言う。
頭を垂れた牡蠣殻を抱え直した鬼鮫が薄く笑った。
「あなたこそ向こうへ行ったらどうです」
黒目の大き過ぎる、異様だが気を惹く海士仁の瞳。それを射込む鬼鮫の目は冷たく揺るぎない。
「あなたはこの人に毒を盛った」
何か言いかけて口を閉じる海士仁に鬼鮫は続けた。
「磯人は毒を扱わない。ましてや麻薬など」
すぅっと海士仁の顔から表情が抜けた。