第20章 杏可也、そして牡蠣殻。
持参したものをこそ呑むとばかり思っていた牡蠣殻が、あまりにあっさりと海士仁から手渡された薬を煽ったので鬼鮫は動転した。
動転して、反応が一瞬遅れた。
呑み込ませまいと顎を鷲掴みした刹那、牡蠣殻の喉が鳴る。
……!!
この馬鹿が…ッ!得体の知れないものを何で呑む⁉
一体何の真似だ⁉
見る間に牡蠣殻の顔から血の気が失せ、目線が覚束なくなる。額とこめかみに脂汗が浮き、食い縛った歯の間から聞いた事のない細い呻き声が漏れる。
薄い唇の端から、涎が滴った。
…ー何を呑ませた?
険しい目を向ければ海士仁も呆然としていて、即座に鬼鮫の腹は座った。
これは慮外の事態なのだ。
牡蠣殻が倒れ掛かるような格好で身を屈め、懐を探った。たった今朝、斬り付けて来た刃の薄い小太刀を掴み出す。
自分でやるか。私の仕事と思ったが。
鬼鮫は鋭い一瞥を海士仁へくれ、魂抜けた風情の彼に低く声をかけた。
「山帰来はありますか」
一瞬言われた事を捉え損なったような顔をした海士仁は、ハッと我に返って腕を振るった。冷たい風が吹いて、消える。
牡蠣殻が我の肘の裏、柔らかい皮に刃を立てて先刻薬を煽るのに用いた器へ血を滴らせた。
それをさらい取ろうとした鬼鮫の腕に牡蠣殻が凭れるようにしがみつく。
「ー…違う。……まず…、……芙蓉さんに……」
「……何を言ってるんです、牡蠣殻さん…」
繋ぎ止める為でも痛め付ける為でもなく、初めて本気で牡蠣殻を殴り付けたくなった。
腹が煮えるような苛立ちに鬼鮫の拳が白く力む。
「腹を立てる間に動け」
ぐいと肩を掴まれて、海士仁に押し退けられた。流石に巧者だ。戻るのも早い。
牡蠣殻から小太刀を取り上げて鬼鮫に渡し、滴り続ける血を別の器に受け、先の器を脇に置く。
「酒と混ぜて芙蓉に呑ませろ」
「酒?」
眉をひそめた鬼鮫に嫋やかな声が冷たく答える。
「回りを速める為です」
黙って成り行きを見守っていた杏可也が、海士仁の傍らから牡蠣殻の血が入った器を取り上げた。
「伊草。小卓から酒を」
ボンヤリと立ち尽くす伊草に鋭い声を投げ、柔やわした衣裳の裾を捌いて芙蓉の横たわる寝台に向かう。
「山帰来なぞよく知っていたな」
牡蠣殻の傷口に綿紗を当て、押さえているよう鬼鮫を目顔で促しながら海士仁は手早く粉薬を器の血に混ぜた。
「効くんですか、この人に」