第20章 杏可也、そして牡蠣殻。
がぐりと視界が振れた。失せるときに揺れる世界に似ている。けれどこれは磯の業に関わりない揺れだ。
…成る程……。……これは……随分と効く……
牡蠣殻は開きたくもない目を見開いて、口端から涎が伝うのを意識しながら懐を探った。鬼鮫に一矢報おうと構えた小太刀が手に触れる。
大蛇丸が牡蠣殻に与えた、刃の薄い切れ味ばかりの懐刀。
これで掻き切れば即座に血が噴くわ。でも人を殺めるには向かないでしょうね。刃が薄過ぎて。自傷に向く獲物だわ。行き着けば自死に備える御守。
アンタに効く毒ってのを知りたいのよ。アンタだって知りたくない?
面白い事を言う。
そうか、そういう興味を持ってもいいのか。ひいては私が何者かという不可思議への好奇。考えてもいいのか。それを。
へえ。そうなのか。
しかし苦しい。今まで味わってきたものとは違う苦しさ。逃げた代償を払うのは容易ではないらしい。
蛇の空けた孔が広がる。
そこに何があるのか、欲が兆した気持ちの指す先に恋しい男の姿があった。傷付けて確かめたがる無茶な男が。
会いたくなかった。
顔が見たかった。
口もききたくない。
触れたくて仕方なかった。
構わないで欲しい。
嫌われたくない。
ただ恋しい。
あの人が求める限り生きていたい。
あの人を求める限り生きていたい。
それが今の私の意思。
長く居座っていた投げ槍の惰性が失せ、初めての感情が胸を締め付ける。
まだ死にたくない。